WJ2015年10号第五百二十七訓「新しき者と旧き者」前提の妙視点です。ほんのり近←妙。
足元から鳥が立つ
あの人が姿を現さなくなってもうどれほど経ったのだろう。
「それじゃあ、私、そろそろ行くから」
ヘッドホンから音漏れするくらいの音量で音楽を聞く弟へ声をかけた。弟からは返事がない。
「今日も出かけないのね。万事屋に行くときは戸締り、お願いね」
最近の弟は何をすることなく、ああやって時間を潰している。まるで待ち合わせでもしている時の暇つぶしのようね。誰を待っているの、新ちゃん?
「姉上、心配しなくても戸締りなんてもう必要ないですよ」
と、言った弟を残し、私は家を出た。戸締りは、しなくちゃダメよ、新ちゃん。金目のものなんてありはしないけど、泥棒に引っ掻き回されるのなんて御免だわ。不意に電柱へと振り返って溜息をついた。今日も同伴出勤はなしか。売上成績上位キープなんて今は昔ね。すっかり平均値キープでやんなっちゃう。でもまだ用心穴の御手当があるだけましだと思わなきゃ。作ったお酒をお客様へお出しし、騒がしい背後の席を見た。銀さんと土方さんが騒いでいる。土方さんの新しい上司に事情を訊いて、それならばと私がふたりの御酌を買って出た。
「本気で飲みたいのであれば、とことんつき合ってもいいですけど」
と、席に着いたけれど、土方さんに言われてしまった。そんなツラで酌されても酔えないですって。いつものように土方さんに突っかかる銀さん、再就職した土方さん。ふたりとも以前と変わらない調子に見えたけど、それは見せかけだった。あの鬼の副長が涙もなく泣いていたもの。銀さんはそれをただ見守っていた。ねえ、銀さん、私も土方さんみたいな顔、してる?
落ち込む土方さんを慰めるふりしてこちらを見下ろす新しい警察庁長官がやってきた。その後ろには新しい将軍。友人として交流があった将ちゃんとは大違いだった。どんなに踏んだり蹴ったりの庶民の体験も、将ちゃんは私たちと一緒で楽しかったと笑っていた。なのに、この新しい将軍はなんなの?人を見下し、蔑み、要らないと斬り捨てる。そのくせ、将ちゃんへの嫉妬心は旺盛。人を人とは思わず、その地位と権力を私欲のみに振るう。こんなことがあっていいの?こんなことを許していいの?どうして誰も声を上げないの?間違っていることは、ちゃんと教えてあげないといけないのに。
「あなた達なんかに一体誰がついて行くというのよ」
叫んでいた。込みあがる悔しさを糧にしてこれからの私たちの国のために新しい将軍へ想いを届けようと必死に。けれど、新しい将軍には届かない。将ちゃん、松平さま、あの人のことを侮辱し、絶対権威に刃向う愚かな私を要らないと宣告される。鈍く光る刃は待ち構え、羽交い絞めされて尚、頭が動かないよう固定される。嫌悪しか感じないのに、どういうわけか全身が勝手に震える。怖いのかしら。そうね、死んだことなんて一度もないから、さすがに怖いかも。でも、泣き叫んだりしない。最期まで取り乱したりするもんですか。それにしても気持ち悪い手ね、私が知ってる男の人の手はもっと武骨で温かいのに。金魚欲しさに無茶をした私の手をずっと離さず、握っていてくれたあの手―あの人は、自分の仲間(部下)で女性を羽交い絞めさせたりしない。
「本物の警察は、本物の侍は、こんな事しない。あの人は、こんな事しない」
ねえ、近藤さん。私、これでよかったのよね。私の首ひとつで、お客さんもお店の子も従業員もみんな護れる。あなたが仲間を護ったように、私にもできる。そうでしょう、近藤さん。先に行って待ってますから、いつものように追いかけてきてくださいね。
首に刀が当たった。薄く長く入った切れ目から血が流れ出る気配を感じた時、目の前の気持ち悪い男の肩越しに先程までなかった銀色の天然パーマの後ろ髪が見えた。
「この拳はとっとけ。てめェらおいていったバカ上司でもブン殴るためにな」
土方さんを諭した後、銀さんは私の首を落とそうとした新しい将軍をブン殴った。ちょっと銀さん、土方さんのバカ上司って、まさかあの人を助けに行くつもりなの?
「それじゃあ、私、そろそろ行くから」
ヘッドホンから音漏れするくらいの音量で音楽を聞く弟へ声をかけた。弟からは返事がない。
「今日も出かけないのね。万事屋に行くときは戸締り、お願いね」
最近の弟は何をすることなく、ああやって時間を潰している。まるで待ち合わせでもしている時の暇つぶしのようね。誰を待っているの、新ちゃん?
「姉上、心配しなくても戸締りなんてもう必要ないですよ」
と、言った弟を残し、私は家を出た。戸締りは、しなくちゃダメよ、新ちゃん。金目のものなんてありはしないけど、泥棒に引っ掻き回されるのなんて御免だわ。不意に電柱へと振り返って溜息をついた。今日も同伴出勤はなしか。売上成績上位キープなんて今は昔ね。すっかり平均値キープでやんなっちゃう。でもまだ用心穴の御手当があるだけましだと思わなきゃ。作ったお酒をお客様へお出しし、騒がしい背後の席を見た。銀さんと土方さんが騒いでいる。土方さんの新しい上司に事情を訊いて、それならばと私がふたりの御酌を買って出た。
「本気で飲みたいのであれば、とことんつき合ってもいいですけど」
と、席に着いたけれど、土方さんに言われてしまった。そんなツラで酌されても酔えないですって。いつものように土方さんに突っかかる銀さん、再就職した土方さん。ふたりとも以前と変わらない調子に見えたけど、それは見せかけだった。あの鬼の副長が涙もなく泣いていたもの。銀さんはそれをただ見守っていた。ねえ、銀さん、私も土方さんみたいな顔、してる?
落ち込む土方さんを慰めるふりしてこちらを見下ろす新しい警察庁長官がやってきた。その後ろには新しい将軍。友人として交流があった将ちゃんとは大違いだった。どんなに踏んだり蹴ったりの庶民の体験も、将ちゃんは私たちと一緒で楽しかったと笑っていた。なのに、この新しい将軍はなんなの?人を見下し、蔑み、要らないと斬り捨てる。そのくせ、将ちゃんへの嫉妬心は旺盛。人を人とは思わず、その地位と権力を私欲のみに振るう。こんなことがあっていいの?こんなことを許していいの?どうして誰も声を上げないの?間違っていることは、ちゃんと教えてあげないといけないのに。
「あなた達なんかに一体誰がついて行くというのよ」
叫んでいた。込みあがる悔しさを糧にしてこれからの私たちの国のために新しい将軍へ想いを届けようと必死に。けれど、新しい将軍には届かない。将ちゃん、松平さま、あの人のことを侮辱し、絶対権威に刃向う愚かな私を要らないと宣告される。鈍く光る刃は待ち構え、羽交い絞めされて尚、頭が動かないよう固定される。嫌悪しか感じないのに、どういうわけか全身が勝手に震える。怖いのかしら。そうね、死んだことなんて一度もないから、さすがに怖いかも。でも、泣き叫んだりしない。最期まで取り乱したりするもんですか。それにしても気持ち悪い手ね、私が知ってる男の人の手はもっと武骨で温かいのに。金魚欲しさに無茶をした私の手をずっと離さず、握っていてくれたあの手―あの人は、自分の仲間(部下)で女性を羽交い絞めさせたりしない。
「本物の警察は、本物の侍は、こんな事しない。あの人は、こんな事しない」
ねえ、近藤さん。私、これでよかったのよね。私の首ひとつで、お客さんもお店の子も従業員もみんな護れる。あなたが仲間を護ったように、私にもできる。そうでしょう、近藤さん。先に行って待ってますから、いつものように追いかけてきてくださいね。
首に刀が当たった。薄く長く入った切れ目から血が流れ出る気配を感じた時、目の前の気持ち悪い男の肩越しに先程までなかった銀色の天然パーマの後ろ髪が見えた。
「この拳はとっとけ。てめェらおいていったバカ上司でもブン殴るためにな」
土方さんを諭した後、銀さんは私の首を落とそうとした新しい将軍をブン殴った。ちょっと銀さん、土方さんのバカ上司って、まさかあの人を助けに行くつもりなの?
足元から鳥が立つ
Text by mimiko.
2015/02/06