WJ2015年32号第五百五十訓「さらば真選組」前提の近妙です。

同伴出勤

 あの男が処刑されると知った時、胸が引き裂かれてしまうような激しい痛みを感じた。知らないうちにずっと胸の内にあったもの。大切にするつもりなど微塵もなかったのに、とても大切になっていたもの。それが容赦なく叩き壊されたような喪失感。朝は変わらずにやってくるのに、まるで陽の光を浴びた実感がなかった。そう、実感がなかったのだ。短期間、その姿を現さなかったことは幾度かあれど、ある日を境にしてこちらの日常に溶け込み、さも当前であるように、その姿を現し出す。来れば鬱陶しいが、来なければ物足りない。そんなことを思っていても、当人へそれを伝えることも頭になく、そもそも、改めて考えることでもないと。
 今では、なぜ考えることも伝えることもしなかったのかが、よくわかる。いなくなってその存在の大切さを理解するなどとはよく云ったものだ。どこか、自分は例外であると高を括っていた。だが、自分も例に外れることなく準じていた。
 妙は、我が家への帰路でふと振り返った。道の端にある大きなゴミ箱が不自然にがたがたと音を立てている。
 何も言わず留守にしておきながら、何事もなかったかのようにいつもの日常を演じる。求められることを許容し、応じていたのはこちらなのだ。相手にしなければ、あちらも演じることをやめるだろう。
 大型のごみ箱にはごみが沢山盛られている。明らかな容量超過だ。妙は、ごみの山から適当にごみを取り除いた。短い黒髪が現れ、それは、びくりと動いた。良かった。もう、こんな馬鹿をするくらいに回復している。妙は安堵の息をついた。雨に濡れる短髪は水に滴っても崩れない。剛直毛なのかしら。いつもは見上げる近藤の頭を見下ろしながら差していた傘を近藤へと差しかける。
「やめてもらえます。もう……こういうの。風邪、ひくから」
「……なんで……今日に限ってそんな事……言うんですか。いつもみたいにこの変態ストーカーって……一発かましてくれればよかったのに」
 こちらに背を向けたまま呟くように返事する近藤に微か、後悔した。また胸の傷が疼いたのだ。しかし、目を逸らし続けていた結果なのだから甘んじて受け入れよう。自分に振り返った近藤の傷跡を見つめる。
「お別れ、しづらくなっちゃうじゃないですか」
 父が健在だった頃、我が家の道場には門下生がいた。剣を学ぶためにやってくる道場が、彼ら侍の帰る場所であったように、仲間たちの帰る場所でありたい。いつしか新たな目標が加わっていた。もちろん恒道館道場の復興は諦めてはいないが、今は道場復興云々と言っていられない。なんせ倒幕世論が湧く御時世だ。新政権が樹立してわずか三か月だというのに、世は静かに激動の時代を待っている。
 銀時、近藤をはじめ、腐れ縁とも謂える仲間たちは、仲間たちの帰る場所でありたいという新たな自分の生き方に気づいていたのかもしれない。それぞれに何かがあっても、あの街へ帰り、憎まれ口を叩きながら顔を合わせる。馬鹿で愛しい仲間たちと過ごす日常はとても楽しかった。あの日々は思い出だ。自分は、もう戻れない。ただの街娘である自分には、もう抱えきれない。
 非力であることを卑下することはただの恥さらしであると鼓舞し、自分と向き合った。非力であるなりに自分のできることに打ち込むことが自分に勝つことだと信じていた。だが、それは負けを認めることだった。
 この男が命を賭して決めたことを尊重したかった。なのに、黙っていられず、この男が護りたかったものを追い込んだ。そして、誰も自分を責めなかった。それどころか、この男の首を取り戻しに行こうとした。自分には微塵も考えられなかったことだ。しかし、自分の言動がなければ決行されることはなかった。
 結果がわかっている今だからこそ、よい行動だったと振り返れるかもしれないが、果たして本当にそれでよかったのか。いや、わかっている。あの男がいてこそ、今がある。世にはあの男の存在が不可欠であることを嫌というほど理解した。そうではなく、ただの街娘である自分にとっての日常の話だ。必ずやってくる朝に、この男の姿が見えなくなったほうがよかったのではないか。いっそのこと、そのまま潰れてくれれば潔かった。潰れてくれていれば、自分の中で思い出にできた。かつて、兄のように慕った初恋の男性を思い出にしたように。
 だが、この男は舞い戻った。死の淵へ立たされたにも関わらずにだ。その身を奈落の底へ投じたふりをして、這い上がってきたのだ。
 どこまでも憎い男だ。これ見よがしに初恋の男性に似た傷を作って、平然と自分を追い詰める。誰がいつものように右ストレートを傷跡の残る顔面に打ち込んでやるものか。誰が別れなど受け入れてやるものか。肝心な時に何も告げずに行ってしまう男なぞ簡単に許してやるものか。
 もともと負け戦だったのだ。勝敗など、最初から明確であったし、単なる意地だった。冗談めかした口説き文句に、執拗なつきまとい。何をどう足掻いても侍であるこの男のお遊びにつき合ってやったのだ。他人から見れば犯罪の被害者が犯罪者を撃退しているだけであったであろう。しかし、確かに駆け引きがあった。恋をしていた。互いにだ。生きて戻ったからには欲がでる。こちらがこう言えば、あちらはこう出るであろうこともわかっている。他人から見れば理解し難いであろうが、自分たちは確かに理解し合っている。そして、互いの想いが報われないことも、また理解していた。
 この男の間抜け面と再び対面した日には、きっとあの日常に戻れるのだろうと踏んでいた。それなのに、戻れなかった。この男の後を追い過ぎたのだろう。すでに引き返せない所まで来ていた。教えてくれたのは、初恋の男性だった。兄と別れた日よりも身も心も成長したのだから、それに目を背けるなと。辛い時ほど笑えと。額から頬へと下った傷は、死の淵に立った証。その傷跡を目に焼きつけたが目蓋を下ろす。憧れ、慕っていた兄の教えをその場しのぎに遮ったのだ。
 尾美一兄様、ごめんなさい。私は、強い侍になれません。始まりと同じ右ストレートと笑顔でこの人を送れるほど強くなんて、とてもなれたものじゃありません。
 新ちゃんなら、笑顔で殴ってやれって、きっと言うわよね。こんな想いを護ったっていいことなんて何もないし、苦しいだけ。でもね、新ちゃん。私、捨てるのも苦しいの。もう取り戻せないものというのは、持ってるのも、捨てるのも苦しい。どうせどっちも苦しいなら、私はそれを護るために苦しみたい。
 近藤さん。私は、あなたがいる日常を護りたい。今度は、私があなたを追いかけます。同伴出勤は勘弁してくれと言うのなら、私の所に必ず戻ってくると約束してください。
同伴出勤
Text by mimiko.
2015/07/18

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