妙近がキスしてます。

触れるだけの口づけを

 好きだの愛しているだの結婚してくれだの、何度も言われたことがある。何度、断っても飽きもせず、顔を見れば好きだの愛しているだの結婚してくれだの。十も離れた小娘に大の男が何度も言い寄る。いい加減に諦めればいいものを凝りもせずに顔を見れば好きだの愛しているだの結婚してくれだの。
 押して駄目なら引けばいいのよ。
 妙は、留守中の自宅冷凍庫に忍んでいた好物のアイスクリームをスプーンで掬って口に差し込んだ。甘い風味が舌を伝って口内に広がる。
「きなこ黒みつ、おいしい……」
 自然と口端を上げた妙の視線の先、テレビは告げる。先日起こった強盗事件の犯人グループ逮捕が報じられる。
 て、ちゃんと引いてたわね、ゴリラのくせに。
 自分の勤めるスナック店に毎夜通い続けていたと思いきや、ある日突然、顔を見せなくなる。そんな日は営業メールを送っても無反応。元々、いつもの営業メールの返信も業務連絡のような素っ気なさだ。なのに、顔を見れば好きだの愛しているだの結婚してくれだの。
 ギャップっていう問題でもないのよ。ストーカーのくせに電話もメールもこちらからしなきゃ返してこない。ストーカーの風上にも置けないんだから。というか、あの人、本当に私のこと好きなのかしら。
 そもそも初めて店に来た時から怪しかった。毛だらけのケツを持つ彼氏を愛せるかと訊ねられ、ケツ毛ごと愛せると答えたあの時、真剣な眼差しで結婚を申し込まれた。戸惑いはしたけれど、ちゃんとこちらの返事を待ってくれた。しかし、図に乗ったあの男はふざけ出した。接客中であろうが好意を向けられていようが、反応を面白がられていることに耐えられなくなって男の鼻に右ストレートをぶち込んだ。
 テレビのニュース番組は終わり、お昼のバラエティ番組が始まる。サングラスをかけた司会者はぼそぼそと番組テーマ曲を歌っている。妙は空にしたアイスクリームのカップを座卓上に広げた新聞の『真選組またやった!』という文字の上に置いた。白黒写真には真選組一番隊隊長沖田総悟がVサインで風船ガムを膨らませながら写っている。その隅には、真選組副長土方十四郎と真選組局長近藤勲の後ろ姿が小さく写っていた。
「きなこ黒みつ、おいしかった」
 呟いてテレビの音しかしないのを確認して溜息をつく。
 ご飯前にアイス食べちゃった。新ちゃんに怒られちゃうわね。お昼ご飯、何にしようかしら。
 不意にあの男の声が耳奥に響く。
『カレーライスがいいです、お妙さん!』
 カレーもいいかもしれない。しかし、今から煮込んでいたら昼食が遅くなる。夕食はカレーライスにするとして、やはり昼食はどうしよう。
 そういえば、お昼ご飯も晩ご飯もうちで食べていったことないわね、近藤さん。変なところで律儀なんだから。
 妙は、気を緩めてくすりと笑った。その時、小さな物音を聞き、妙は瞬間に殺気立つ。薙刀を握って庭の茂みへとそれを投げ入れた。
「ひィィィ!!
 わざとらしく間を抜かした男の声が茂みからした。庭に出た妙は、声がした茂みの前まで来ると利き手を茂みへ突っ込んで声の主を引きずり出す。衿を掴まれた近藤は青ざめて口をぱくぱくさせている。
「留守中の我が家によくも侵入してくれましたね、近藤さん」
 営業用スマイルを張りつけてこれ見よがしに微笑んでみせる。
「すッ、すみません!!その、悪いかな~と思ったんですけど、せっかく買えたきなこ黒みつだったんで溶けちゃマズイと思って!ほら、前に俺、コタツん中で溶かしたことあったでしょう?アイスクリームはコタツじゃなくて冷凍庫だって新八君に怒られちゃったしッ!」
 期間限定で発売されるフレーバーは人気が出るとどの店に行こうが大抵売れ切れてしまい、入手困難となる。たまに復活して店に入荷するが、その場合もやはりすぐに売れ切れてしまう。仕事の忙しい最中、高級アイスクリームを取扱う店に通ってくれていたことと、そのアイスクリームを駄目にしないようにという気遣いについては多少労いたい気もする。不法侵入は許されることではないけれど、こちらにも非があるのだ。戸締りをせずに卵を買いに行ったのだから。
「きなこ黒みつはありがとうございました」
と、言ったきり、ぎゅっと目と口を閉じている近藤を見下ろす。
 馬鹿な人。まんまとゴリラポイポイにかかってるんだから。
 妙は、目を伏せて近藤の硬く閉じている唇に自分の唇を重ねて顔を離した。
「……きなこ黒みつのお裾分けです……」
 何度か唇が触れるだけの口づけをしてみるが、近藤の唇は閉じたままである。
「……アイスの味、しました……?」
 唇の先が触れる距離で訊ねる。
「……いえ……」
「もっと、口を開けてくださいよ……」
「それは……」
 どうせできないんでしょう、意気地のない人。
 いつもいやらしくない触れ方をする。必要であれば手を引いたり肩を抱いたりするけれど、それは男女のあれそれではない。まるで人道的支援だ。子供のころから曲がったことが許せなかった性分で、町ですれ違うチンピラに人の道を説くことがある。相手が駄々を捏ねだすと大抵、特別警察の制服を着たこの男に割って入られる。理不尽な憤りから庇われる時、近藤の腕は力強く、その背中はとても頼もしく感じる。
「じゃあ、どうしてもうひとつ買ってこなかったんですか」
 妙が唇を尖らすと近藤は衿元を掴みあげられたまま頭を掻いた。
「すみません。最後の一個だった、んッ」
 申し訳なさそうに笑う近藤の唇を目がけて妙の開いた唇が寄せられた。が、重なったのはほんの一瞬だった。近藤は、妙の両肩を包んだ手で彼女を引き離す。
『ダメですよ、お妙さん』
と、言わんばかりの苦笑いを向けられ、妙の胸がちくりと痛む。妙は胸の痛みを誤魔化すよう、いつものように口端を上げたみせた。
「わかりました。お昼ご飯はコンニャクにします」
「……え?コンニャク……?」
 不思議がる近藤の袴へと妙は右手を伸ばす。そこにそっと触れられた近藤は全身までも硬くした。驚いた近藤の小さな目は見開かれている。普段は容易く心を乱さない近藤の反応に嬉しくなった妙は密かにくすりと笑う。
 そっちからは触ってこないくせに、こっちからちょっとキスしただけで悦んじゃうなんて、馬鹿正直な人。
触れるだけの口づけを
Text by mimiko.
2016/05/23

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