ムカムカしてるお妙さんとムラムラしてる近藤さんがいます。

心を以って心に伝える下心

 ケツが毛ダルマの野獣もとい野生のゴリラにプロポーズされた。初めて出会ったその日にだ。あまりに突拍子すぎて断ったがしつこく食い下がられ、ゴリラ幕臣の鼻に右ストレートをお見舞いしてやった。
 それでも翌日にやって来た。自宅敷地脇にある電柱によじ登り、弟といた家の中を覗き込み。休日のゴリラの鼻に灰皿をお見舞いしてやった。
 それなのにゴリラは来る日も来る日も自分の前に現れては結婚してくれだの交際してくれだのと申し込む。来る日も来る日も殴っているのに懲りずに厭きずにだ。
 そしてある日突然現れなくなった。電柱の影やごみ箱、自動販売機の影、身を隠せそうなところからはどこからでも現れてきたのに、物陰を覗き込んでみても、ごみ箱の蓋を上げてみてもゴリラはいなかった。
 つまらなかった。すっかりゴリラ叩きが日常になっていたのだと気づかされたのは数日後、自分への付き纏いが復活した時だった。
 ゴリラ叩きはやっぱり楽しかったし、沈みがちだった気分も勤め先の売上成績も上がって嬉しかった。
 最近では付き纏い行為に徹して結婚も交際もすっかり申し込んでこないから苛立っていた。仕方なしに交際くらいなら許してあげてもいいのにとほんの少し思っていたからだ。こちらから申し出るなんてことはできない。今更どの面さげて告白などできようか。
 早く交際を申し込んできなさいよ。
 買い物袋を提げて自宅へ向かう妙は後方に人の気配を感じて念を送った。
 無理ね。攻めて来たかと思えば、すぐに逃げちゃうんだから。ほんと勝負にならない腑抜けゴリラだこと。
「はぁ」
 妙は目を瞑って溜息をついた。ついでに気までも抜けてしまったのか何もない地面で躓く。よろけて左に提げていたビニール袋が音を立てると同時、右に温もりを感じた。見ると自分の右手は大きな手の平の上に乗っている。
「大丈夫ですか」
 自分の後ろで身を潜めていたはずの近藤に支えられていた。息も上げることなく涼しい顔をしている。
 近藤さんって侍じゃなくて忍者じゃないのって思うんだけど。いつもすごいわよね。ストーキングっていうか、尾行の技っていうか。どこでそんなすごい尾行技教わってくるのかしら。あ、教わってるんじゃなくて自分で磨いてるのかしら。
 妙は近藤を見据えた。白目勝ちの黒い瞳に見下ろされ、いつか見たテレビ中継でまるで侍のようなことを叫んでいたのを思い出す。
 護るべきものも護れない不甲斐ない男にはなりたくないと言ったあの真っ直ぐな瞳が、今、自分を映し込んでいる。
「はい」
 近さを意識した妙は視線を落とした。近藤は妙の手を離す。
「ダッハッハッ! あんまりお妙さんが見つめるもんだからキスでもされるのかと思っちゃいましたよ、ダッハッハッ!」
 溜息の気分だ。そうやっていつも茶化す。折角のチャンスであろうに何故、そのまま手を握らずに離すのか。
「い、いいですよ、キス……しても……」
と、妙は近藤の腕に触れた。言ったものの恥ずかしさと緊張で近藤の顔を見れず、視線を泳がせる。
「やだなァ、お妙さん。そういう冗談はよしてくださいよ。俺、本気にしちゃいますよ、いいんですか?」
 いつもの調子づいている声だった。
 冗談にしたいのね、近藤さん。
 折角の二度目のチャンスもやはり逃げる。妙はふうと息を吐き、近藤の腕に触れたまま背伸びした。口の端に自分の唇を軽く押しつけて踵を下ろす。押しつけた唇に近藤の頬の温もりを感じ、嬉しく思いながらも恥ずかしさが込み上げ、近藤の顔から顔を逸らす。
「……私……ガテン系だなんて言われてるけど……キスとか、その先とか……男の人からして欲しいって思ってます……」
 鼓動が速く打つのを少しでも抑えられないかと両方の手を胸の前で握った。自分の思いは告げたけれど、肝心の近藤はまだ言葉を発しない。
 やっぱり逃げる?
 妙は恐る恐る近藤を見上げた。呆然としている様子でどこか一点を見つめている。
 用事を思い出したとかなんだとか理由をつけて逃げる?
「お妙さん」
 続けて近藤は口を開いたが妙は遮るように呼ぶ。
「近藤さん」
と、近藤の胸に身を寄せる。このまま抱き締めて欲しい。目を瞑って強く願う。
「お妙さん……」
 耳元で低い声がした。
「俺だって……愛したい……」
 鼓動がひとつ大きく鳴った。声は今まで聞いたことのないような真剣な思いが含まれている。望んでいた言葉に妙の胸が熱くなり、瞳の奥まで熱くなって近藤の胸にしなだれた。
 いつも冗談のような追いかけっこをしていた。実はこちらを好きでいるというのは嘘で、ただ単にものにならない女と戯れるのを愉しんでいるのではないかと思っていた。でも違った。自分を女として愛したいと言ってくれた。
「でも、この話はなかったことにしてください」
と、視線を合わさず妙を引き剥がす。
 申し訳がなさそうに、苦しそうに、表情を歪めてまるで泣いてしまうのではないかと思うほど辛そうだ。しかし妙は頭を左右に振った。
「本当にすみません。この通りです」
と、近藤は背を屈めて頭を下げた。
「嫌です。なかったことになんて私はしません」
 下唇を噛み締める妙を近藤は見上げた。
「あなたに足りないのは私を捨てる覚悟です。ちゃんと覚悟を決めてください。その気のなかった私に恋をさせた責任をきちんと取ってください」
 まだ背を屈めたままだった近藤は再び頭を下げた。それは出来ないことらしい。
 やっぱりムカつくわ、この人なんなの。
「あなたを傷つけたくありません」
 頭を下げたままの近藤に蹴りを入れたくなったが、深く息を吐いて気を落ち着かせる。
「どうしてなんですか。私も好きだと言ってるのに、あなたも私のことを好きだと言ってくれたじゃないですか。もう私のことは好きじゃないんですか」
「……はい」
 はい? 何ソレ、私を傷つけるつもり? ほんとムカつく、この人なんなの、バカなの?
「あ、痛いッ」
と、妙は胸を両手で押さえる。
 顔を上げた近藤は妙の胸を痛がる様子に慌てだす。
「大丈夫ですかッ、息苦しいんですかッ」
「帯、緩めたほうが楽かも」
と、妙は近藤の腕に触れる。近藤は妙の帯紐に指で触れてからはっとした。妙の視線に動きを止める。
「いやだわ、近藤さん。こんな公道でだなんて……♡」
 可愛らしく照れる妙に近藤は焦って両手を振った。
「ち、違うッ!! お妙さんッ、違いますッ! 断じて違いますッ! 俺、仮にも警察官なんでこんなとこでそんなことするわけないじゃないですかッ!」
「まあ。そんなことって、どんなことかしら」
と、妙は微笑んだ。
「え、いや、う~ん、どんなことかなァ」
 しらばっくれる近藤に白い目を向けて妙は大きな手に触れる。
「じゃあ、続きはおうちに帰ってから……ね♡」
と、小首を傾げる。
「続きって……話は終わったつもりなんですが……」
 近藤は妙の提げていた袋をそっと手に取る。さり気ない優しさが嬉しい。妙は、恒道館へ足を向ける近藤の腕に手を回した。
「近藤さんのそういうところ、好きです。別れる時のことを考えて、踏みとどまってくれた気持ちも嬉しい。でも、私のことをもう好きじゃないなんて言わないで……」
 妙の瞳から切なさがこぼれ落ちた。
「本心じゃないってわかっていても、悲しいです。あなたがこうやって私に付き纏ってくる限り、そんなことはない。わかっていても好きじゃないなんて……傷つきます。捨てられる覚悟はできていても、嘘をついて誤魔化したりしないでください。本当のことを知らないまま丸め込まれるなんて嫌です」
 再び込みあがり、妙は涙を指で拭う。我が家に着く前に近藤を口説けるだろうか。こちらを思って身を引こうとする近藤にその思いを越えさせる何かを伝えられなければ彼が言ったようにこの話はなかったことになる。しかし、何かといっても近藤への気持ちしかない。
「私はこの恋を大切にしたいです。お願いです、近藤さん。この恋を実らせてください」
「……」
 思っていたことを素直に打ち明けたが近藤は無言だった。やはり断られてしまうだろうか。しかし、左腕に回した手は一向に振り払われはしない。
 妙は微かに期待しながら近藤とともに恒道館の門をくぐった。くぐった途端に門の影へと近藤に連れられる。腰に手を回され見つめられ、妙の胸は高鳴った。調子づくでもなくその眼差しは真剣だ。
「仮に……実ったとして、お妙さんはそれでいいんですか」
「え……」
「お妙さんの言う通り、俺は君を捨てるかもしれない。それでもいいんですか」
「よくはありませんけど、仕方ないじゃないですか。結婚しない、つき合わない、友達にもならないって何度も断ってるのにそれでもしつこかったじゃないですか。暗示みたいなものかもしれないけど、何度も言われ続けられると効いてくるのかもしれません。それに、いつもはふざけてばかりなのに、私のいないところではちゃんとかっこいいなんて、ずるいです」
 妙は近藤を睨んだ。
「好きになっちゃったんだもの。泣き寝入りするしかないんです。でも、片思いのまま泣き寝入りなんて嫌。ちゃんと両思いになりたい。近藤さんは私と両思いになるの嫌ですか?」
 真っ直ぐに見つめられた近藤は妙の瞳をじっと見つめ返し、自然と顔を寄せる。唇が触れ合う前に近藤は口を開いた。
「そんなことあるわけないじゃないですか」
と、顔を離し、妙の腰からも手を離す。妙に背を向けて続ける。
「俺はお妙さんのことが好きです。愛したい気持ちに偽りはありません。しかし」
 この期に及んでまだ渋る近藤に苛立ち、妙は利き足を踏み込んだ。近藤の後頭部めがけて拳を振る。が、後ろを振り返った近藤の左手に拳を止められてしまった。指で包まれて右ストレートは封印される。
 近藤さん、いつもならこの右ストレートを食らってるはずなのに。止められたの、初めてだわ。怒ってるのかしら。そうよね、私、さっきから聞き分けが悪いもの。
「あの、お妙さん……?」
 妙は頬を赤くしながら近藤を見つめていた。妙の瞳にハートマークを見たような気がした近藤は顔を左右に振って気を取り直す。
「本当は近藤さん、私の右ストレート止められるんだろうなって思ってたんです。だから、実際に止められちゃって、あの、私……えっと」
と、近藤の手を意識する。近藤ははっとして掴んでいた妙の右手を放した。
「その……私……」
と、妙は先ほどまで掴まれていた右手をもう片方の手で覆う。
「やっぱり近藤さんが好き……」
 改めて言ったが、やはり恥ずかしさが先行して顔が熱くなる。近藤の顔を見れなくなって視線をあちらへやった。
「俺もです」
と、近藤は正面から妙を抱き締める。
「お妙さんが好きだ」
 妙の耳元で囁き、耳に口づける。息をこぼしながら舌先で耳の襞をなでる。妙が肩を竦ませるともう片方の耳元に顔をやり、囁く。
「好きだ」
 吐息混じりで言われて肩を震わせる。首筋がぞくんとして妙は息を飲んだ。反対側の耳の襞にも近藤の舌が這う。
「んんっ」
 妙の堪える声に我に返った近藤は耳から唇を離した。
「すみません。そんなに何度も言われたら我慢が利かなくなります。もう言わんでください」
「いいえ。我慢が利かなくなるならもっと言います」
 妙から視線を逸らした近藤だったが、妙の言葉に顔を上げる。
「今だけでもいいから私に夢中になって、近藤さん」
 十も年下の娘に見透かされている。
 理性がやめておけと言っている。好きだの恋を実らせてくれだのと煽られて堪えられずにちょっかいを出してしまってはいるが、これ以上触れてしまっては引き返すことが難しくなる。しかし、初めて出会った時のたとえ話で妙は言った。不浄まで包み込む心構えで男を愛すと。
 見透かされて情けないことこの上なしであるのに、妙はすべてを包み込み、愛そうとしてくれる。度の過ぎる付き纏いを冗談と浄化してくれることが嬉しくて何度もこうして、今日だってそうだ。なのに、どうしてこうなった。
 お妙さん、何か悪いモノでも食べたのかな。だっておかしくね?! 俺の目じっと見つめてキスしてもいいですよって、あのお妙さんがだよ?! いやあのお妙さんだからこそ、このお妙さんなのか。
 初めてプロポーズした時、俺幕臣だし相手キャバ嬢だしという驕りで断られないだろうし、その場でプロポーズを断られたとしても囲うくらいはできるだろうと頭の隅にあった。が、突然のプロポーズに戸惑いながらも丁寧断られ、その驕りもあっさり崩れさった。だからこそ、この女が欲しいと思った。男は逃げる獲物を追いたくなる。若いのに実年齢以上の落ち着きぶりもいいが、ほんの一瞬見せる年相応の娘の意地が可愛らしかった。
 年不相応の落ち着きは皆に向け、年相応に唇を男から奪われたい恋心は今、自分に向けられている。
 この上なく嬉しい。しかし、今だけでいいから私に夢中になってと女の口に言わせてしまった。不甲斐なさすぎる。だが、そのまま甘えてしまいたい。甘えて、甘えさせたい。
幼少時に親を亡くし、急いで大人になった妙を女として甘やかしてやりたい。もう、ただの市井の娘としてなど見れない。自分をこれほど理解している女は初めてだ。
 近藤は見上げる大きな瞳に引き寄せられ、その瞳を見つめながら唇を開き重ね合せる。近藤が侵入すると妙は逃げ、不意に触れ合うと電流が流れるような痺れが走り妙は怯む。触れ合った瞬間にぎゅっと目を閉じた妙を眺めながら再び妙を追う近藤は細い女の背を抱き寄せ、唇の開き合わさる角度を変えた。
「ぅんん……っ」
 くぐもった女の声が切なげに響く。
 加減のできなくなった近藤は妙を存分に愛で、解放する頃には妙の目元を存分に濡らしていた。
「……男の人とキスするの初めてなのに……こんなになるまで……ひどい……もっと……違う感じだと思ってたのに……」
 ツッコミどころがありすぎるよ、お妙さん。こんなになるまでのこんなって、どんなヤツ? もっと違う感じってどんな感じ? ていうか、煽ってきたのお妙さんのほうだよね? て、顔がユルむなコレ。わかってる、わかってるよ、お妙さん。ホントはもっと可愛らしいヤツやって欲しかったんだろうなって、わかってる。わかってるけどもこう見えて俺攻めてくの好きなんで、もっとグチョグチョになるようなヤツしたかったなァとか思ってるけど、まあ百歩譲って今最高に浮かれゴボぇ…!!
 妙の拳に鼻を撃たれた近藤は目を白黒させる。
「え、え……?」
「すいません、なんだか今、無性に何かを殴りたくなっちゃって」
と、明るい笑顔で言われ、近藤は瞬きを繰り返す。
「え、今、俺、口に出てました?」
 近藤の言葉に妙の笑顔が豹変し、瞬時に笑顔が繕われる。
「何考えてたんですか?」
 え、そんな、言えない……! 涙目のお妙さんが可愛くて声我慢したり俺にしがみついたりする手つきがいやらしいこと山の如しでこの後滅茶苦茶セッグボぇ……!!
「あら、ごめんなさい♡ やっぱり無性に殴りたくなって手がすべっちゃった♡」
心を以って心に伝える下心
Text by mimiko.
2017/06/25

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