カボチャの魔法使い3
オタエ・シムーラ、十九歳。四日後には二十歳になる。タイムリミットは四日後の二十二時三十一分。
今日は彼と約束をしていない。約束は明日だ。昨日とは違う方面の町へ行こうと約束している。一度食べたこの町の鍋をもう一度食べに来ることはないだろう。きっと今日は会えない。
「姉上?聞いてます?ずっと上の空ですね」
「え、あ、ごめんなさい。なんだったかしら」
昼下がり、オタエはシンパチーノと一緒に広場へと食材の搬入を手伝っていた。大量の芋類を載せた荷車を引くシンパチーノの隣で林檎が沢山入った紙袋を抱える。
「いいですよ、もう。ただの世間話ですから」
苦笑したシンパチーノは上り坂道に通りかかり、荷台いっぱいの芋を気にしながら行くが丸い芋や長い芋はつぎつぎに転がり落ちる。
「シンちゃんっ!いっぱい転がってるわよ!」
姉の声にはっとしたシンパチーノは荷車を置き、転がる芋を追う。オタエも芋を追いかけようとしたが抱えていた紙袋から林檎が転がり落ちた。
「姉上も林檎!」
我に返って紙袋を抱え直し、更に転がり落ちるのを止めた。が、芋と林檎は坂道を下る。若干、林檎のほうが勢いよく下って行くが、数が多いのは芋だ。どちらを追うか迷ったオタエだったが、とりあえず自分が抱えていた林檎を追いかけようと弟に伝える。
「林檎は私が拾うから、シンちゃんはお芋をお願い!」
「わかりました!」
手分けして落ちたものを拾い集めていると小道から林檎をひとつ持った男が現れた。黒いネクタイに黒いスーツだ。カボチャの彼だと思ったオタエは視線を上げた。しかし、彼ではなかった。見知らぬ男性だ。凛々しい眉毛にすっと通った鼻筋、整った顔立ちをしていた。唇は火の点いていない煙草を挟んでいる。男は手にしていた林檎からオタエに視線をやった。目が合ったオタエはどきりとした。瞳孔が開いていたのだ。驚いたオタエは視線を落とす。服装はカボチャの彼ととてもよく似ているのに全然違う。
「あんたの落し物か」
訊かれてオタエは視線を戻した。声はそれほど怖くない。オタエは緊張しながら返事した。
「はい……」
「じゃあ返すよ。どうぞ」
無愛想な表情だが、声に冷たさはなかった。それほど感情を顔に出さないタイプなのだろうか。
「ありがとうございます」
オタエが礼を言うと、男はオタエが抱えていた紙袋に林檎を入れてやった。
「林檎か……バナナでも持ってくりゃよかったな……」
と、呟き、鼻で笑ってから煙草に火を点けた。
「ちょっと聞きたいんだが、いいか?」
オタエはもちろんと頷き、微笑む。
「おまえさん、俺のような格好をした奴を見かけなかったか」
ひやりとした。今しがた目の前の人物をカボチャの彼だと勘違いしたばかりだ。しかし、目の前の男の尋ね人がカボチャの彼であるとは限らない。
「筋肉質で長身。短髪で顎髭を生やしている男だ」
どきりとした。どうやら勘違いではないらしい。頷いていいものだろうか。彼は親衛隊の制服を着ていたことについて内緒にしてくれと言って服を変化させた。この男が同じような服を着ているということは、彼と同じで親衛隊なのだろうか。そう考えられるだけで確信とまではいかない。どうしよう。考えあぐねているとシンパチーノの声がした。
「姉上、林檎拾えましたか」
心配するシンパチーノに問題ないと笑顔で頷く。弟の背後には見知らぬ亜麻色の青年が芋類の荷車を引いていた。
林檎を拾ってくれた男はトシーニョ・ヒジカタ。芋を拾ってくれた男はソウ・オキータ。彼らは人を探していた。筋肉質で長身、短髪で顎髭の男を。そして、トシーニョもソウも揃いの黒いスーツ姿である。カボチャの彼よりも歳は若そうだが、だんだんふたりが親衛隊に見えてくる。また、仕事をさぼっていた仲間を探しにきたようにも見えてくる。もし、本当に仕事をさぼって豊穣の鍋の食べ歩きをしていたのなら、きっと大目玉を食らうだろう。楽しいひと時を一緒に過ごしただけに、ここで自分が白状するのは彼に申し訳が立たない。オタエは黙っていることにした。シンパチーノは、カボチャの彼のことを知らない。オタエは黙っていることにしたのでトシーニョとソウには、そんな男は知らないと告げた。
けれど、ふたりは広場から立ち去ることなく、豊穣の鍋の準備をオタエたちの傍で眺めていた。下ごしらえ中、ヒョウ血族の者に腐りかけの野菜を仕込まれそうになったが、ふたりによって阻止された。ゴリラ血族の旧家の者に感謝されが、なんてことはないから気を使うなと軽くあしらっていた。
カボチャの彼に似ていると思った。容姿や性格は全然違う。けれど、心構えがとても似ていると感じた。彼らの心はとても清い。親衛隊がこうなのだから、その彼らが警護する人物もきっと心が清らかなのだろう。
魔族の末端にいるような自分にとって魔族王家が本当に存在しているのか信じられなかった。が、実在するのだと認識した。実在が怪しいと思っていたのはただの嫌味かもしれないが。魔族王家に対しては、正直、恨み節だけが募っていたのだ。
戦争時代の因縁がある血族の住む土地を決定したのは魔族王家だという。平和な時代に小さな戦争を起こしている原因のひとつとして単純明快の事柄だ。
生きているうちに、もし、魔族王家に近しい人物と出会うことがあれば、一度は言ってやりたいと思っていた。が、今はその時ではないだろう。彼らが本当に魔族王家の親衛隊であるかは不確かなのだから。彼らの正体については憶測に過ぎない。カボチャの彼だって怪しい口振りだった。彼は本当に魔族王家の親衛隊なのだろうか。
豊穣の鍋が完成した。一番乗りにとトシーニョとソウに振る舞われる。素直にその美味しさを褒めない彼らだったが、満足そうに頬張っているのを見た炊き出し担当の娘たちは頬を緩めた。なんと言っても美形の彼らだ。その容姿を利用し、こそこそと尋ね人の聞き込みをしているが有力情報はなかなか掴めないらしい。それもそのはずだろう。人前ではハロウィンランタンのカボチャを被っていた。そんな者はハロウィン期間中、至る所で見かける。それに素顔を見たのは自分だけ。自分が黙っていれば、彼の内緒のお出かけは暴かれない。なのに、彼はやって来た。
「ちっ、あの野郎……!」
トシーニョは舌打ちをして挙動不審のカボチャ男を睨みつけた。映画泥棒でもしたような無駄に大きな動きをしている。
「待ってください、ヒジカタさん!俺があの人を追いますからヒジカタさんはこのアツアツ鍋を平らげてから来てください!」
と、ソウはおかわりしていた熱々の鍋をトシーニョに持たせた。
「熱っ、え、こらちょっと待てソウ!おまえがおかわりしたんだろ!おまえが食ってけ……!」
ソウの身軽さにトシーニョは完全に後れをとってしまった。周囲の注目を浴びたトシーニョは熱々の鍋を冷ましながら頬張る。急いで食べ終えるがソウの影はもはや見当たらない。トシーニョはひと息ついた。
「なあ、あんた、話がある。だが人がいないところがいい」
シンパチーノは警戒した。
「メガネ、そういうんじゃないから安心しろ」
それでも警戒するシンパチーノにトシーニョは溜息をつく。
「わかった。メガネも来い。だが、話の内容は聞くな。あんたは、何かあればすぐ叫べ。それでいいだろう?」
トシーニョの提案にシンパチーノは頷き、オタエとトシーニョは路地裏にやってきた。シンパチーノは広場から路地裏に入ったところで待機している。
「まず、聞かせてもらおうか。なんで知らねーと嘘をついた」
背を向けたまま訊ねるトシーニョの声は冷たく厳しかった。その威圧感でオタエは何も言えなくなる。しかし、彼を護ろうと口を開く。
「なんのことですか」
「しらばっくれんな。あの野郎が妙なもん被ってたのにもかかわらず、あれが誰なのか知ってた顔しただろう」
一瞬、心臓が止まったように感じた。背中に嫌な汗を掻く。
「あんた、あの野郎に惚れてるな……?じゃなきゃ、なんの目的で『あの野郎』に近づいてるんだ……?」
殺気を無理に抑え込むような圧と肌を切り裂くような鋭い風がオタエの頬を掠った。建物の壁に片手を突かれ、オタエは肝を冷やした。空気が張り詰めている。
最近、似た雰囲気を肌で感じたことがあった。ハロウィン初日だ。カボチャ男に出会い、ヒョウ血族によって豊穣の鍋に工作されようとし、彼がヒョウ血族の男を押さえつけている時だ。
直感する。トシーニョもオオカミ血族だ。目を見てはいけない。オタエは目を閉じた。彼は怪しく誘惑してきたが、トシーニョは違う。きっと殺される。ふうっと息を吐いて静かに息を吸う。
「豊穣の鍋が炊き出される町への食べ歩きが目的です」
妙に落ち着いたオタエの態度にトシーニョは鼻で笑った。
「なるほど」
短く言った後も変わらず冷静でいたオタエにトシーニョは両手を上げて彼女から距離をとった。
「じゃあ、豊穣の鍋食べ歩きツアーは俺が引き継ぐ。あんたは弟と水入らずで行っとけ」
寄ってくるなと言われ、オタエの眉間に皺が寄った。今年のハロウィンも弟と過ごす予定だった。なのに、彼に下着を見られた。
「たった一日で町から町へ食べ歩きなんて行けません。私も弟も並の魔力です」
「じゃあ、やっぱり『あの野郎』の魔力が目的か」
「え……?」
オタエはトシーニョの目を見た。目は紅くなかったが、初めてその目を見た時と同様に瞳孔が開いている。
「あんた、このまま過ごしてたらあと四日で人間だろ」
と、煙草を取り出して火を点けた。オタエは目を見開いた。
「魔力をちょっと拝借って、気軽なもんじゃないのはわかってんのか」
「……え?」
先ほどは冷静でいたが、気が動転しているのか、オタエはいまいち理解していないらしい。というか、あの男は正体を打ち明けていないのだろう。なのに、俺恋しちゃったなどと浮かれたことを抜かしていたのか。トシーニョはカボチャを脱いでデート話をしていた男に苛立ちを募らせた。煙草を咥えたまま舌打ちし、煙草を指に取る。煙をゆっくり吹き出して言った。
「本来なら『あの野郎』なんて呼べやしねえ。蔑称さえも死罪だ」
と、煙草を吸う。
「まだわからないのか。いや、わからねー振りか?まあ、どっちでもいい。いずれわかることだ。ヒントをやるよ。ジャックは豊穣の鍋を食う前に何かやってただろう」
オタエはびくりとした。心当たりがあったのだ。鍋の器の前で軽く握った右の拳を左手で覆い、目を閉じていた。戦争時代以前より伝わる食前の祈り。現在の一般家庭では行われなくなった儀式である。
こちらの素性は知られている。同じ血族でもないのに知ることができるのは各血族を束ねる旧家よりも格上である魔族を束ねる王家しかいない。
見たくないものの前に突き出された気分だ。呆然とするオタエを路地裏に残したトシーニョは、シンパチーノに訊ねた。
「おまえは、会えなくなるような幸せだったとしても、姉ちゃんを祝福してやれるか?」
すれ違いざまのトシーニョにシンパチーノは頷いた。その真剣な眼差しにトシーニョは口の片端を上げる。
「そうか。それなら応援してやれ」
笑みをこぼしながら煙を吐き出した。