近←妙な妙視点。

背中

 日が昇ってまだ間もない時間帯。澄んだ空気が漂う道場で竹刀を振る父の背中を見つめるのが好きだった。やがて、神童と呼ばれ、実の兄のように慕った若き塾頭も父とともに竹刀を振り始め、ふたりの背中を見つめるのも好きだった。そして、そこに実の弟も加わる。一番小さな背中は、眠気のためかぎこちなく動作し、それを一番大きな背中に叱咤され、二番目に大きな背中に激励されていた。
 三人が踏み込むと床板が軋み、竹刀が空を斬る音が鳴る。一日が始まるその音は、いつしか減り、一番小さな背中だけが残った。今では、二番目に大きかった背中を超えるほど成長した。だが、一番大きかった背中を超えるにはまだまだである。先を行く背中があれば目指しやすいのだろうが、如何せん目標とした背中が年中迷子の浮浪雲だけにその道は険しい。傍から見ていると弟の路頭の迷い方は半端ない。しかし、それでいい。迷いながらも自分の道を探し当てることができれば、悔いのない人生を歩めるだろう。
 自分もその背中を目指したかった。だが、掴めない雲はどこまで行こうが掴めない。まるで掴んでくれるなと言っているようだ。心配せずとも自分はもうその背中を追ったりはしない。いつもそうだった。床板を鳴らして竹刀を振っていた背中がひとりずつ去ろうと、いつも見送っていた。自分は見送ってもらう側ではなく見送る側であると、その都度、実感した。置いて行かれることに、残されることに、慣れてしまっていた。が、それは、自らが旅立つことを諦めてのことではない。剣術道場の家に生まれたが、女である自分に弟ができた時、心を決めたのだ。旅立つ者のいつか帰るところでありたい。剣を習った門下生たちが立派な侍となって再び我が道場の門をくぐる未来を夢としたのだ。
 なのに、どこぞの流派の侍が、我が道場の門をくぐりまくっている。記憶の中の若き父によく似たその風貌。お人好しだの、ゴリラだの、こちらの名を呼ぶ間の抜け具合までそっくりだ。いや、名の呼び方については少し違う。父に剣を習う前はまだ自分が幼かった頃の話だ。
 ずっと置き去りだった自分を迎えに来てくれる人が、ようやく現れたのだと嬉しかった。強引にでも会いに来てくれる様が滑稽で可笑しい。そして、とても楽しい。だが、その人も侍だ。普段、どれほどふざけていようとも、その人もやがて自分を残して行ってしまう。その人もわかっているのだろう。強引ではあるが無理には踏み込んでこない。良く言えばわきまえているのだろうが、悪く言えば自己防衛しているだけだ。何度、断ろうが自分へ言い寄ることを一向にやめない。性質が悪いにもほどがある。かと言って、こちらが折れるわけにはいかない。最初に張った意地は通させてもらう。頷けばいつか必ず来るであろうその時、自分だけが泣きを見るのは御免だ。
 今は、人知れずいつまでもその背中を見送ることなく、たまに見せられる背中に胸を高鳴らせていたいと思う。
背中
Text by mimiko.
2015/05/17

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