「同伴出勤」の続き。
WJ2015年32号第五百五十訓「さらば真選組」前提の近妙です。

損害賠償

 別れの言葉を切り出した近藤に眉を寄せた妙は、溜息をついた。
「またですか?これで何度目のお別れなのかしら」
 なんでもいいからそこから早く出ろと諭され、近藤は妙の言うとおりにごみ箱から脱出する。
「そうなんですが、今回ばっかりはホントのホントっていうか……。てか、お妙さん、俺がお別れする日、毎回当ててくるのはなんでですか」
「キャバ嬢の勘かしら」
と、小首を傾げていつものように微笑んで続けた。
「ちょうど良かったわ。近藤さんにお話があるんです。うちにいらしてください」
「え。いや、今日、手ぶらで来ちゃったんで……」
「いやだわ。そんな赤の他人みたいなこと言わないでください。私と近藤さんの仲でしょう?」
「でも、俺、ごみ臭いし……」
「もう、水臭いわねェ。お風呂、入って行ってください」
 口元に手をやってくすくすと笑い、妙は先を行く。
「いや、水臭くなくて、ごみ臭いんですってば」
と、近藤は慌てて妙の後を追った。妙に追いつくと、また傘を差しかけられる。妙の肩が雨に濡れ、近藤は、妙の持つ傘の柄を握った。しかし、そこには妙の手があり、彼女の手ごと握っていた。
「あっ、すみません」
 近藤が手を離して謝ると、妙は傘を渡した。傘を持つ近藤の太い腕を尻目にあちらを向く。
「いえ……」
 今度こそ一発かまされると思った近藤だったが、妙のしおらしい反応に瞬きを繰り返した。これは一体どういうことだろう。なんで今日に限っていい雰囲気になっているのだろう。
 志村家に到着するなり、妙はせかせかと入浴の準備をした。湯上りの着替えに父の浴衣を用意し、湯加減を確認すると客間へ戻った。臭いと雨に汚れた近藤の着物に処置を施していると、間もなくして近藤が父親の浴衣を着て現れた。
「いいお湯でした、ありがとうございます。あ、染み抜きまでさせてしまってすみません」
 頭に手をやって下げる近藤の足元は、浴衣の裾が脛で終わっていた。よく見ると袖も短い。
「いいえ」
と、視線を近藤から手元の着物に戻す。
「着替えの浴衣、つんつるてんですみません」
 その浴衣を着た時の父のことを思い出す。恰幅の良い父親のために母が仕立てた浴衣は、父によく似合っていた。体格のいい父よりも手足が長いのか。着物の染み抜きをしながら柔らかく笑った妙に近藤は見惚れた。まるで夫婦のようではないかと顔が緩みそうになって己の頬を両手で打つ。
「いえ、素敵な浴衣をお借りして申し訳ない」
 にこやかに笑って再び染み抜きの着物に視線を落とす妙は、やはり美しく、近藤は夢見心地で腰を下ろし、切り出した。
「時に、お妙さん。俺に話というのは……」
 顔を上げた妙は、近藤に微笑んだ。
「同伴出勤、お願いします」
「いや、あの……今日もこれからいろいろ忙しくて……」
「そうなんですか。じゃあ、染み抜き、早く終わらせますね」
と、手元に視線を戻した。
「……ていうか、今、すまいるって……」
 妙の眉がぴくりと動いた。それまで和やかな雰囲気であったのに、周囲の空気がぴりっと張り詰める。染み抜きは完了したようで、妙はそれを持って立ち上がった。警戒する近藤を余所に着物掛けに袖を通させて鴨居にかけた。正座する近藤の前に膝を突き合わせて腰を下ろす。正面にいる男の目を真っ直ぐに見て口を開いた。
「お店の用心穴として損害賠償を請求します。松平様が不甲斐ないばかりに馬面佐々木様が警察庁長官に君臨されて、馬鹿なお殿様がホント不甲斐ない真選組局長を扱き下ろすものだから、私ったら、つい、でしゃばっちゃって。とばっちりで何の罪もないお店の子が怪我を負わされたんです。その子たちの今後の保障とお店の損害、きっちりお支払いください」
 近藤は予想を外したらしい。早口に目を点にした近藤に妙は追い打ちをかけた。
「それと、私の今後についてもちゃんと身の安全を保障してくださいね」
「あ、はい……。それはもう本当に……」
 呆気にとられた近藤は呟き、ただただ頷く。
「本当かしら」
 疑わしいといった声で確認され、近藤は妙の瞳を見つめる。
「本当に私の身の安全を保障していただけるんですか?」
 真っ直ぐに見つめられ、近藤は、はっきりと首を縦に振った。
「じゃあ、今日は何時に出勤されるんです?それまでに支度しないと……」
 かみ合わない話に近藤は首を傾げた。妙の勤め先であったキャバクラ店は営業を停止しているはずだ。だが、自分に出勤時間を訊いていた。
「……あの、お妙さん。同伴出勤って……」
「あなたの職場へ同伴出勤するんですけど」
 近藤は、瞬きを繰り返した。訳がわからない。
「あの……お妙さん。同伴出勤って……」
「あなたの職場へ同伴出勤するんですけど」
「えっと、お妙さん?同伴しゅ……」
「あなたの職場へ私が同伴されてあなたが出勤するんですけど」
 三度繰り返した時、被るように言われた。
「えッ!なんで?!
「なんでって……」
と、妙は近藤から視線を逸らせた。
「もう、戻れないから……」
 妙のさびしげな呟きに近藤は言葉を飲んだ。
「私たちの街は、私たちの手で取り戻したい……」
と、正座する近藤の膝の上に載せられていた彼の右手を取った。腰を浮かせて膝で立つ。近藤の名誉を護ろうとした時に負傷し、今はもう消えてしまった傷跡を指で触れさせると、妙は右手を近藤の顔へと伸ばした。右目側の額から眉間を通って左頬へ下がる太い傷跡にそっと指で触れ、額から頬へとなぞる。
「近藤さん、誓ってください。必ずあの日に帰るのだと。私もあなたに誓うから、あなたも私に誓ってください」
 暫くの間の後、近藤の口が開く。妙は彼の傷跡から白目勝ちの瞳に視線をやった。
「誓えば、あなたは待っていてくれますか」
 妙は、首を横に振った。小銭形たちの所を出た時から決めていた。駄目で元々で構わない。何もせずに後悔することだけはしたくない。
「いいえ、待ちません。ダメだと言われてもついていきます。山崎さんにでもお願いしてこっそり潜入しますから」
「それはできません。山崎にも他の隊士にもきつく言っておきます」
 冷静に拒否されると妙は下唇を噛みしめた。予想通りだ。あの日々の近藤は、いつも自分を追っていた。だが、いざこちらが追えばきっと逃げるのだろう。何故なら、ただ追いかけっこをして遊んでいたからだ。水のように掴めない捕らえられない男なのだ。憎たらしくて腹立たしい。
「怒ってるんですか。私が万事屋のみんなについて行ったこと、怒ってるんですか」
「いや、怒ってませんよ。だが、あなたにできることは何もない。精々、軽負傷者の手当てをするくらいだ」
 悔しい。悔しくて堪らない。しかし、始めから負け戦であることはわかっていた。自分には負けを惜しむことしかできないこともわかっていた。妙は、肩の力を抜いた。
「……そんなの、わかってます……」
 近藤の手を離して腰を下ろす。
「ほら……やっぱり私の身の安全を保障してくれないじゃないですか……」
「いや、そこは抜かりなく保障します。あなたはいつも通りに過ごしてください。二十四時間、きっちり警護させます」
 問答でこちらが圧されることなど今まであっただろうか。いつもは、近藤がこちらの要求を聞き入れていた。そうだ、もう戻れないのだからいつも通りではないのだ。妙は、方向転換した。
「警護してもらう方を指名してもいいですか?」
「はい」
「じゃあ、近藤勲さん」
 年端もいかない少女のように無邪気に微笑まれ、近藤の唇がへの字に曲がった。自分は引かない気でいるが、妙も引かない気でいるらしい。負けられない。
「それは無理です」
「近藤さん以外の人に二十四時間みっちり警護されるなんて、私、いやです」
と、かわいらしくいやいやをする。
「ねぇ、近藤さん。本気で私のことを他の男の人に警護させる気でいるんですか?二十四時間、ずっと?寝てる時も?ご飯食べてる時も?お風呂入ってる時も?」
 いやらしい聞き方だ。近藤は一瞬、躊躇するも首を縦に振った。だが、妙はその眉間に皺が寄るのを見逃さなかった。馬鹿な男だ。結局、自分に惚れまくっている。妙は嬉しくなって口の両端を上げたが、堪えきれずに涙をこぼした。やはり自分には抱えきれない。湧き出るこの気持ちを告げずに見送ることなどできない。できるはずもない。こんなにも自分を独占するこの男の傍にいたいのだから。
「……ん、っく、ごめ、んなさい……泣くつもりなんて、なかったんです……ひっく」
 込みあがる涙を無理に押し込めてしゃべるために酷くしゃくる。
「こんど、さん……はっ、ごめんなさい、んぐっ……はぁ、私、ひっ……」
 近藤は、腰を浮かせた。涙を雑に拭いながら泣きじゃくる妙を抱き締める。考えるより先に手を伸ばしてしまったことを瞬間、後悔したが、触れた温もりが弱々しく、無意識に強く抱きしめた。妙を実感し、近藤は胸に迫りくる切なさを飲み込む。
「謝るべきは俺のほうだ。お妙さん、すまねェ」
 愛しているのに追い詰めた。苦しませたかったわけじゃない。やはり自分の愛は重たいのか。これ以上、触れてはいけないと思っているのに、手が勝手に動く。妙の背を抱く両腕は一度緩まり、右の手は妙の頬にかかる髪を潜り、しっとりとした肌を四本の指の先が滑った。形の整った唇に親指の腹を押しつけて顎先へと滑らせ、桜色の唇を割る。薄く開いた唇の奥に、白い歯と赤い舌を見ると近藤は喉を上下させた。引き寄せられるように唇を見つめながら目を細める。妙も自分に合わせて目を閉じていく。唇の先が触れるか触れないかのところで障子戸の擦れる音がした。近藤は細めていた目を開いて視線だけを障子のほうへとやった。新八だった。眼鏡の奥の瞳が大きく開き、こちらを見ている。状況を把握した新八は、引いた障子戸を一度閉じた。が、束の間もなく再び障子戸は勢いよく開かれた。
「って、死に損ないゴリラァァ!何やっとんのじゃァァァ!!
 切れのあるとび蹴りに近藤は見事に吹っ飛んだ。悲鳴をあげる間もない。
「僕の姉上に何してくれてんですか近藤さん!!いくら姉上が発情してるからって、まんまと誘惑されるような安い侍に姉上は任せられませんからね!」
 そこに正座しろと捲し立てる新八に、体を起こした近藤は言われたように指差された所に正座する。気を取り直した新八は咳払いを一つして口を開いた。
「いいですか、近藤さん。これから乱世が始まるんです。そんな時代で子作りなんて姉上が許しても僕は断固許しません。そういうことは、平和を勝ち取った後にしてください。ホンット、頼みますからね!」
「はい……」
 近藤は大きい体を竦ませて頭を下げた。
「んもう、新ちゃんは心配性なんだから……」
 くすくすと笑う妙に苛立った新八は、正座する近藤の横に指差し、そこに正座しろと姉にも捲し立てた。
「そりゃ心配しますよ。小銭形さんから連絡受けて急いで帰ってきたら、早速こんなことになってるんですから。顔見る度に釘差しとかなきゃ、心配で心配でボケーッとなんかできたもんじゃないですよ。てか、もしできちゃったりでもしたら苦労するのは母親のほうなんですからね!そこんとこちゃんとわかってるんですか、姉上!」
「わかってるわよ、新ちゃん。ね、近藤さん?」
 すっかり涙を引っ込めて楽しそうに妙は微笑む。近藤は照れながら頷いた。
「あ、はい……」
 漂う甘くて温い雰囲気に、新八はつまらなさそうに目を細めた。何故、自分がこんな小姑のような役割を引き受けなければいけないのか。面白くなさ過ぎて泣いてしまいそうだ。というか泣きたい。
損害賠償
Text by mimiko.
2015/07/19

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