ジャスタウェイ工場の話、星海坊主の話、ゴリラ13な栗子ちゃんのデート話など前提で近←妙です。
ヤケ酒とムカムカ
私は志村妙。スナックすまいるで接客業と用心棒もとい用心穴をかけもっているしがないごく普通の街娘。夕方から出勤するから、昼間のテレビはだいたい見ているし、お客さんとの話の種に新聞は毎日欠かさず読んでいるから時事ネタから地方ニュース、エンタメまで広く知見は得ているの。
そう、あの日の昼間もテレビを見ていたわ。緊急テレビ中継でえいりあんによるターミナル事故の様子が放送された。ターミナルに得体のしれないものがはりついていて、その得体のしれないものと一緒に神楽ちゃんが映った。そして、やってきた真選組が包囲網を張った。えいりあんと思わしき着ぐるみを着たゴリラを見た後、定春くんと銀さんを見た。きっと弟もそこにいると確信した。
江戸の象徴であるターミナルがえいりあんに取り込まれていくのを見て不安を感じたけれど、着ぐるみを脱いだゴリラはなんとしてもここで食い止めるんだ、奴等を江戸の街に入れるなと真選組の士気を高めていた。
神楽ちゃんを助けようと木刀を握る銀さんも、江戸を護ろうと真剣を握る悪ふざけがすぎる近藤さんも、どちらも侍だと実感した。
病に伏せていた父上は嘆いていたけれど、今も江戸には魂におさめた真っすぐな剣を携えた侍は確かにいる。私自身のことではないけれど、なんだかとても誇らしかった。
まだ幼い子の心配はどこの星の親でもするものよね。銃を仕込んだ傘を振り回す危険な子がいるだなんてって驚いたけど、ターミナルを取り込むえいりあんと果敢に戦うえいりあんばすたーさんが神楽ちゃんのお父さんだというじゃない。子は親と一緒にいるべきだと私も思う。けれど、私が新ちゃんを銀さんに託したように、えいりあんばすたーさんも神楽ちゃんを銀さんに託……せないわよね。銀さん、万年金欠で、死んだ魚のような目をしているもの。真っすぐな剣よりギャンブルな剣を何本も魂におさめていそうだものね。そんな怪しい男に年頃の娘を預けられないわよね。新ちゃんも、年の近い友達ができて楽しそうにしていただけに残念だけれど、こればっかりは仕方のないことね。だから、新ちゃんにはターミナル事故から帰ってきた時、それとなく伝えた。
『お帰りなさい、新ちゃん。お仕事お疲れさま。今日から強化月間に入るから、銀さん連れて店に遊びに来なさいね』って。
でも、店が営業しても一向に新ちゃんたちが来る気配がなかったから店に置いてる日本酒を包んでスナックお登勢に持って行った。まさか猿飛さんやキャサリンさんまで神楽ちゃんロスを励まそうとするなんて思っていなかったからヒロインの座争奪みたいなことになっちゃったけど、結局、神楽ちゃんは地球留学が延期することになってよかったわ。幼いようで大人びた面白くてかわいい子だもの。きっと私だけじゃなくて、みんなもあの子ともっと一緒に過ごしたいはず。
なのはいいけど、チャイナ娘強化月間だというのにどうしてこないの、あの男。大きな事件があって後始末も大変だろうけど、そろそろ仕事も片付くんじゃないの?
同僚が別の席に指名され、ヘルプに入った席でおかわりの水割りを作ってお客さんへ出す。思いのほかグラスの底とテーブルとを強い力で当ててしまい、大きな音が鳴ってしまった。
「どうしたの、お妙ちゃん。ご機嫌ナナメ?」
「あ、失礼しました。手がすべってしまって」
と、こちらを窺がうお客さんへ笑顔を向ける。しばらく談笑していると同僚が戻ってきたのと同時に別の席へとヘルプ要請があって立ち上がると見知った顎髭の男が背合わせの席に着いていた。
指名じゃなくてヘルプということは、別の子がその席のヘルプに入るのかしら? なんて思いながら次にヘルプに入ったのはあの男が着いた席と向かい合わせの席だった。
『お妙さん、今日もお美しいですねッ! はやくこっち来てくださいねッ!』なんて言葉をかけられると思ったのに、目が合ったのにもかかわらず何も言ってこなかったし、なんの挨拶もなく無視をされた。ゴリラのくせに無視してくるだなんてどういうことなの。揚げ句、ずっと別の子と楽しそうに会話したり、腕や肩を触らせたり、つき合っちゃおうよだなんて言ったりなんかして、何キャラ? ケツ毛ボーボーの卑屈なモテない男キャラはどうしたというの? チャラチャラしたゴリラだなんてムカつく奴以外の何者でもないわ。
「あの、お妙ちゃん? 俺、なんかマズいこと言っちゃった?」
いつの間にか眉を引きつらせていたのに気づいてこちらを窺がうお客さんへ笑顔を向けた。
「いえ、全然。私ったら、失礼でしたよね。ごめんなさい。ちょっと前にあった新聞の定期購読のしつこい勧誘のこと思い出しちゃってつい」
そうよ、結婚だなんて紙切れ一枚の契約を交わすだけなわけだし、ちょっとしつこい新聞の勧誘があったんだっていうのと大差ないわよ。
***
「どーせ俺なんてケツ毛ボーボーだしさァ、女にモテるわけないんだよ」
どこかで聞いたことがある台詞が聞いたことがあるような音声で背後の席から再生されるんだけど、これは一体どういうことかしら。
「そんなことないですよォ、まァまァ、元気出して今日は飲みましョ」
「元気出せっつってもさァ。俺、今年に入って振られたの通算十三回目よ?」
「それは辛いけどさ、大丈夫だって。ね? 今はチャイナ娘月間中だし、楽しく飲も?」
「うん、まァ確かにいつもの和装もいいけれど、チャイナ娘もいいもんだけれども」
「でしョ?」
「ところでなんで急にチャイナ娘月間なの?」
「それはね、発案者がいるんですよォ。ね、お妙」
トングに氷を挟んだまま背後の会話に聞き耳を立てていたことにはっとしてグラスに氷を落として返事をする。
「え、ええ」
「後ろの席にいる子が発案したんですよ。なんだったっけ、チャイナ娘強化月間で男の妄想が強化されるんじゃないかって」
「なるほど、そういうことか。なかなか理に適ってるじゃないか。いい企画だ」
関心はしても私の名前を聞いても、私がすぐそばにいると知っても何の反応もないの?
「そうですかァ? 私にはなんだかよくわかんないけど。だからかなァ、私もお客さんと一緒でよく男に振られちゃうんですよ。男心がわかってないからかなァ」
「そうか、君もよく振られるのか。よし、今日は飲もう。てか、君、話しやすいね」
「ふふ~でしョ? だから男の人とは仲良くなれるんだけど、恋愛となると難しいや~」
「そうだよなァ。彼氏にしたいのはどんなタイプ? 今までの彼氏はケツが毛だるまタイプっていた?」
「う~ん、つるりんタイプだったかな」
後ろの席の子が言うのと同時に立ち上がって我に返る。テーブルには途中まで作っていたと記憶していた水割りがいつもの出来栄えでお客さんの前に出されていた。
何してるの私。水割りはちゃんと作って出していたとは言え、別の席の会話に聞き耳を立てて心此処にあらずで接客して。
「ごめんなさい。ちょっとお手洗いへ行ってきますね」
お客さんへ断りを入れて中座したはいいけれど。気持ちを切り替えなきゃと思えば思うほど、あの男への苛立ちがおさまらない。
化粧室備え付けの鏡を睨みつける。
ゴリラのくせにムカつく。ああやってモテない男を演出してかわいそうな男を慰めてって手法で女を口説いているんだわ。よかったわ、プロポーズ断っておいて。ホントよかった。
鏡を見ながら文字通り胸を撫でおろして化粧室を出た。中座した席へ戻ろうと、通路の角を曲がったところで大きな人影とぶつかった。まだ着慣れないチャイナドレスに合わせた慣れないハイヒールを履いていたからバランスを崩して人影に寄りかかってしまう。
「大丈夫ですか」
知った男の声に驚いてまたバランスを崩す。大きな手のひらに左肘が包まれ、もう片方の大きな手に背中を支えられ直した。普段の和装なら帯があるはずなのにドレスの薄い生地越しに温もりを感じて、普段の和装なら露出していない肘を素肌に触れられて、その手のひらの熱さを感じてしまう。
ドクンっていう内臓の音が男の人によって鳴らされてしまうなんて不意打ちにもほどがあるし、相手が近藤さんっていうのが一番許せない。ていうか、着慣れないチャイナドレスがノースリーブだから空調が効いててもちょっと肌寒かったとかそんな理由で、何もこんなふうにこんなに接近してただ驚いただけで、そんなアレとは違うわよねえッ、お妙ッ?! 違う違う絶対、そんなんじゃないってッ! ダメよお妙、落ち着きなさいッ、パニくって顔熱くしてる場合じゃないのよ、人の素肌に断りもなしに触ったゴリラに鉄槌を食らわせてやるのよッ!
右手に力を入れるとまたよろけたと勘違いしたらしい近藤さんに抱き寄せられてしまった。手の力が抜けて目の前の男物の着物に軽く触れるだけになってしまう。
よろけたところを助けてもらっただけなのに、男の人に抱き寄せられてるって認識しちゃってるってこと? 女ってこうも脱力しちゃうの?
「あの……大丈夫ですか?」
え? どういうこと?
「足、くじいちゃったりしました?」
顔を見ないようにしていたのに、つい見上げてしまって視線が合う。
だから、ドクンっていうのはただの勘違いよッ、お妙ッ!
「大丈夫ですか? 怪我してないですか?」
この違和感は何? まるで私のことなんて知らないみたいな他人行儀。まさかそんなことってないわよね……?
心配そうに私の足元へと視線を落とす。ちょっと待って、左の足は大胆にスリット入っちゃってるチャイナドレスんだから見ちゃダメっ!
恥ずかしさで目をぎゅっとつむって近藤さんの着物に触れている両手に力が入ってしまう。
「あ、やっぱ怪我しちゃいました? 痛みますか?」
足元から顔に視線が戻る気配がするけど近藤さんの顔が見れない。
「すみません。自分のようなむさ苦しい男とぶつかったばかりに。なんとお詫びを申し上げればいいか……。病院、行きます? この時間帯だと救急かな。……えっと、お妙……さん……と言いましたっけ?」
と、左肘を包んでいた大きな右手が離される。
あなたが好きなはずの私と認識しない近藤さんのまともな対応に寂しさを覚える。
「……はい」
「歩けますか? 支えが必要なら肩貸すんで。それか、おんぶしましょうか?」
背中にあった大きな手まで離れそうになり、なぜか引き止めたくなって近藤さんの左肩へ頭をもたれさせた。
「怪我はしてません……」
近藤さんの温もりにもっと顔をうずめたくなったけれど、自分からこんなことして自分でもよくわからなくて、でも着慣れないノースリーブのせいで体温調節ができないから、男の人の体温を心地よく感じているだけなんだからって心の中のもうひとりの自分が言い訳をしている。
「酔い、回っちゃいました?」
声をかけられ、首だけで頷く。
本当に私のことを忘れたの? それとも私のことを忘れたふりをしている? 確かに銀さんが記憶喪失になったのを追いかけるように近藤さんも記憶喪失になっちゃったけど、それって一過性のものじゃないの? 銀さんはもうとっくに記憶を回復させてるのに近藤さんはまだ回復していない? その割にはちゃんと仕事をしていたし、テレビ中継ではガキがひとり取り残されてるって、神楽ちゃんのことを心配していたわよね?
見極めようとして左肩から頭を離して近藤さんの顔を見上げる。男らしい眉の下、三白眼の小さな黒目をじっと見つめていると何故か顔が近づいていた。唇の先同士が触れそうになるまで三センチ。我に返ったらしい近藤さんは私の両腕に軽く触れて私を遠ざけた。
「すみません、俺のほうが酔ってるな。初対面の女性にこんなこといきなりしようとしてすみません」
と、目を閉じて頭を下げる。
初対面という言葉が癇に障る。信じられない。初対面の女性に会ったその日にプロポーズするくらい変な男なのに、振られてもストーキングするような陰湿な男なのに、初対面の女性でも接近するようなことがあれば手を出そうとするその手癖の悪さと早さ。しかも、つい数分前なんて別の女の子口説いてたくせに。なんて不届きな男なの。
そもそもなんで私のことを本当に忘れてるっぽいのよ。初対面でプロポーズするくらいに私のこと小一時間程度で好きになったくせに。
怒りが抑えられず、頭を下げたままの近藤さんの左頬を右の手のひらででビンタしてやった。それでも気がおさまらない。
かわいそうで陰湿な男の次は大人の恋を演出する男ってどういうことよ。ドキドキなんてしてないわよ。チャラチャラした男の人なんて、月9じゃあるまいし。ドキドキなんてするわけないんだから。もう、なんなのよ、ゴリラのくせにムカつく。
***
それから数週間、近藤さんはお店に顔を見せなかったし家のほうにも姿を現さなかった。私が街で買い物をしているときも近藤さんらしき人影はなかった。
店のバックヤードに掲示の従業員別売上表をぼうっと眺めていると店長に声をかけられた。
「今月は売上あんまりだね。お妙ちゃん発案のチャイナ娘月間で他の子はそこそこ上々だけれども。アレか、上得意の真選組局長さんが最近お妙ちゃんを指名しないからか。どうしたの、喧嘩でもした?」
「いいえ、そんなんじゃありませんよ、店長。あの方、もともと女の子を食っちゃ捨て食っちゃ捨てするタイプのゴリラだったってことですよ」
「え、もしや枕……」
「なんでゴリラ相手に枕営業なんかするんですか。事実無根ですよ。仮にも警察の方なんですからそんな馬鹿げたことはされませんよ。言葉のアヤです。ただ軟派な方だったってだけです」
そうよ、今どき珍しい硬派なお侍さんが存在するんだわって関心したのも束の間、その正体は女に振られ三昧で自信なくした男版かまってちゃんで、つまり惚れやすい男性ってこと。その上、無自覚で生まれ持った男の魅力を女にちらつかせているタチの悪い男。生娘の私の手に負えるわけないじゃない。万が一、そんな人を捕まえてしまったら、他の女へ目が向かないようにいつでも気を張っていなきゃならないもの。
ボーイに指名が入ったと言われて席へ向かう。
見たことがある短髪黒髪の後ろ姿を確認して背を向ける。席に向かったはずなのに自然と回れ右をしたまま立ち止まっているとボーイに声をかけられて我に返った。
席に着くなりフルーツの盛り合わせを注文入れてくれたから必ず席に着きなよと促される。私はフルーツと一緒にバックヤードの重箱を持ってくるよう頼んで改めて回れ右をした。
この間のキス未遂事件の謝罪のためのフルーツ盛り合わせってことかしら。
「いらっしゃいませ、近藤さん」
「ああ、どうも。先日は大変失礼しました。この通りです」
と、袴をはいた両膝に両手をついて頭を下げる。
本当、今どき珍しいほど義理堅い人。その実体は軟派な男なのに。
「早々にフルーツのオーダー、ありがとうございます」
「いやいや、お詫びが遅くなってすみません。地方へ出張に行っていたんです」
地方出張? 何そのいやらしい響き。こんな惚れやすくて慰めてほしい男なんて現地妻がいるはずだわ、なんていやらしい。
「あら、そうなんですか。お仕事お疲れさまです。大丈夫でした? 私ったらびっくりしちゃって思いっきり頬ひっぱたいちゃって」
「ああ、それはもう。殴られて当然のことですし。どうか気にし……」
「現地のほうで、大丈夫でした? 跡が残って痴話喧嘩しないですみました?」
「え……、ちょっと待って。俺なんか全然モテないし、そんな女性いないですよ。出張っていっても隊士募集に行くんで女性のいるようなところには滞在してないし」
「そうかしら?」
「あ、やっぱ怒ってます? ホント俺なんかケツ毛ボーボーだし、この店の子にも振られまくるわ、女にモテるわけ……ん?」
「そんなことないですよ。男らしくて素敵じゃありませんか」
近藤さんが最後まで言う前に返答する。
「じゃ、じゃあ、聞くけどさァ、もしお妙さんの彼氏がさァ、ケツが毛だるまだったらどーすよ?」
自分で言ったことのある言葉に近藤さんは首を傾げ続ける。思い出したのかしら。それともまだ完全には思い出していない?
そこへフルーツの盛り合わせと重箱がテーブルに運ばれてきた。
「水割り、作っちゃっていいですか?」
「あ、はい。お願いします。お妙さんも飲んでください」
「ありがとうございます」
ボーイは下がり、二杯の水割りを作る音だけが席に響く。
「で、あの……もし彼氏のケツが毛だるまだったらどうします?」
「私がどう答えるか、しってるんじゃないですか?」
「はい……」
と、テーブルの一点を見つめたまま固まっている。いろいろ思い出したのか徐々に顔が赤くなってそれは耳まで広がった。
「本当に、なんとお詫びを……」
「もう、いいじゃありませんか。済んだことですし」
と、水割りを近藤さんへ差し出す。もし本当に近藤さんが私のことを忘れたままだったらと持ってきていた自家製卵焼きの入った重箱の蓋もあけて差し出した。
「あ……」
「まだ私のことだけ忘れたままだったらと思って用意していたんです」
「……どうしてですか……」
ぼそりと呟かれ聞き返す。
「何がですか?」
「お妙さんにとっては俺が忘れたままのほうがよかったんじゃないですか?」
「まァ、そんなこと仰るんですか。それじゃ私が困るんです」
「え?」
「だって、またこうして近藤さんと飲みたいと思っていたから。せっかくなんで近藤さん、卵焼きどうぞ」
と、箸置きに箸を添えた。
「あ、近藤さ~ん! 今日はお妙指名なんだ~! 次の時は私を指名してね♡」
席の移動をしていた同僚が手を振りながら声をかけ、近藤さんはまた今度と返事をする。
何ソレ。次も、また今度も、ゴリラが指名するのは私なんだけど。箸でつまんだ自家製卵焼きを食べさせてあげようとした気もどこかへ吹き飛び、素手で掴んだ卵焼きをゴリラの口に放り込んだ。
「お妙さッ、んぐッ!!」
やっぱりムカつく。ゴリラのくせにあちこちの女にいい顔なんかして。なんて手癖の悪い野良ゴリラだこと。矯正でもさせたほうがいいのかしら。
そう、あの日の昼間もテレビを見ていたわ。緊急テレビ中継でえいりあんによるターミナル事故の様子が放送された。ターミナルに得体のしれないものがはりついていて、その得体のしれないものと一緒に神楽ちゃんが映った。そして、やってきた真選組が包囲網を張った。えいりあんと思わしき着ぐるみを着たゴリラを見た後、定春くんと銀さんを見た。きっと弟もそこにいると確信した。
江戸の象徴であるターミナルがえいりあんに取り込まれていくのを見て不安を感じたけれど、着ぐるみを脱いだゴリラはなんとしてもここで食い止めるんだ、奴等を江戸の街に入れるなと真選組の士気を高めていた。
神楽ちゃんを助けようと木刀を握る銀さんも、江戸を護ろうと真剣を握る悪ふざけがすぎる近藤さんも、どちらも侍だと実感した。
病に伏せていた父上は嘆いていたけれど、今も江戸には魂におさめた真っすぐな剣を携えた侍は確かにいる。私自身のことではないけれど、なんだかとても誇らしかった。
まだ幼い子の心配はどこの星の親でもするものよね。銃を仕込んだ傘を振り回す危険な子がいるだなんてって驚いたけど、ターミナルを取り込むえいりあんと果敢に戦うえいりあんばすたーさんが神楽ちゃんのお父さんだというじゃない。子は親と一緒にいるべきだと私も思う。けれど、私が新ちゃんを銀さんに託したように、えいりあんばすたーさんも神楽ちゃんを銀さんに託……せないわよね。銀さん、万年金欠で、死んだ魚のような目をしているもの。真っすぐな剣よりギャンブルな剣を何本も魂におさめていそうだものね。そんな怪しい男に年頃の娘を預けられないわよね。新ちゃんも、年の近い友達ができて楽しそうにしていただけに残念だけれど、こればっかりは仕方のないことね。だから、新ちゃんにはターミナル事故から帰ってきた時、それとなく伝えた。
『お帰りなさい、新ちゃん。お仕事お疲れさま。今日から強化月間に入るから、銀さん連れて店に遊びに来なさいね』って。
でも、店が営業しても一向に新ちゃんたちが来る気配がなかったから店に置いてる日本酒を包んでスナックお登勢に持って行った。まさか猿飛さんやキャサリンさんまで神楽ちゃんロスを励まそうとするなんて思っていなかったからヒロインの座争奪みたいなことになっちゃったけど、結局、神楽ちゃんは地球留学が延期することになってよかったわ。幼いようで大人びた面白くてかわいい子だもの。きっと私だけじゃなくて、みんなもあの子ともっと一緒に過ごしたいはず。
なのはいいけど、チャイナ娘強化月間だというのにどうしてこないの、あの男。大きな事件があって後始末も大変だろうけど、そろそろ仕事も片付くんじゃないの?
同僚が別の席に指名され、ヘルプに入った席でおかわりの水割りを作ってお客さんへ出す。思いのほかグラスの底とテーブルとを強い力で当ててしまい、大きな音が鳴ってしまった。
「どうしたの、お妙ちゃん。ご機嫌ナナメ?」
「あ、失礼しました。手がすべってしまって」
と、こちらを窺がうお客さんへ笑顔を向ける。しばらく談笑していると同僚が戻ってきたのと同時に別の席へとヘルプ要請があって立ち上がると見知った顎髭の男が背合わせの席に着いていた。
指名じゃなくてヘルプということは、別の子がその席のヘルプに入るのかしら? なんて思いながら次にヘルプに入ったのはあの男が着いた席と向かい合わせの席だった。
『お妙さん、今日もお美しいですねッ! はやくこっち来てくださいねッ!』なんて言葉をかけられると思ったのに、目が合ったのにもかかわらず何も言ってこなかったし、なんの挨拶もなく無視をされた。ゴリラのくせに無視してくるだなんてどういうことなの。揚げ句、ずっと別の子と楽しそうに会話したり、腕や肩を触らせたり、つき合っちゃおうよだなんて言ったりなんかして、何キャラ? ケツ毛ボーボーの卑屈なモテない男キャラはどうしたというの? チャラチャラしたゴリラだなんてムカつく奴以外の何者でもないわ。
「あの、お妙ちゃん? 俺、なんかマズいこと言っちゃった?」
いつの間にか眉を引きつらせていたのに気づいてこちらを窺がうお客さんへ笑顔を向けた。
「いえ、全然。私ったら、失礼でしたよね。ごめんなさい。ちょっと前にあった新聞の定期購読のしつこい勧誘のこと思い出しちゃってつい」
そうよ、結婚だなんて紙切れ一枚の契約を交わすだけなわけだし、ちょっとしつこい新聞の勧誘があったんだっていうのと大差ないわよ。
***
「どーせ俺なんてケツ毛ボーボーだしさァ、女にモテるわけないんだよ」
どこかで聞いたことがある台詞が聞いたことがあるような音声で背後の席から再生されるんだけど、これは一体どういうことかしら。
「そんなことないですよォ、まァまァ、元気出して今日は飲みましョ」
「元気出せっつってもさァ。俺、今年に入って振られたの通算十三回目よ?」
「それは辛いけどさ、大丈夫だって。ね? 今はチャイナ娘月間中だし、楽しく飲も?」
「うん、まァ確かにいつもの和装もいいけれど、チャイナ娘もいいもんだけれども」
「でしョ?」
「ところでなんで急にチャイナ娘月間なの?」
「それはね、発案者がいるんですよォ。ね、お妙」
トングに氷を挟んだまま背後の会話に聞き耳を立てていたことにはっとしてグラスに氷を落として返事をする。
「え、ええ」
「後ろの席にいる子が発案したんですよ。なんだったっけ、チャイナ娘強化月間で男の妄想が強化されるんじゃないかって」
「なるほど、そういうことか。なかなか理に適ってるじゃないか。いい企画だ」
関心はしても私の名前を聞いても、私がすぐそばにいると知っても何の反応もないの?
「そうですかァ? 私にはなんだかよくわかんないけど。だからかなァ、私もお客さんと一緒でよく男に振られちゃうんですよ。男心がわかってないからかなァ」
「そうか、君もよく振られるのか。よし、今日は飲もう。てか、君、話しやすいね」
「ふふ~でしョ? だから男の人とは仲良くなれるんだけど、恋愛となると難しいや~」
「そうだよなァ。彼氏にしたいのはどんなタイプ? 今までの彼氏はケツが毛だるまタイプっていた?」
「う~ん、つるりんタイプだったかな」
後ろの席の子が言うのと同時に立ち上がって我に返る。テーブルには途中まで作っていたと記憶していた水割りがいつもの出来栄えでお客さんの前に出されていた。
何してるの私。水割りはちゃんと作って出していたとは言え、別の席の会話に聞き耳を立てて心此処にあらずで接客して。
「ごめんなさい。ちょっとお手洗いへ行ってきますね」
お客さんへ断りを入れて中座したはいいけれど。気持ちを切り替えなきゃと思えば思うほど、あの男への苛立ちがおさまらない。
化粧室備え付けの鏡を睨みつける。
ゴリラのくせにムカつく。ああやってモテない男を演出してかわいそうな男を慰めてって手法で女を口説いているんだわ。よかったわ、プロポーズ断っておいて。ホントよかった。
鏡を見ながら文字通り胸を撫でおろして化粧室を出た。中座した席へ戻ろうと、通路の角を曲がったところで大きな人影とぶつかった。まだ着慣れないチャイナドレスに合わせた慣れないハイヒールを履いていたからバランスを崩して人影に寄りかかってしまう。
「大丈夫ですか」
知った男の声に驚いてまたバランスを崩す。大きな手のひらに左肘が包まれ、もう片方の大きな手に背中を支えられ直した。普段の和装なら帯があるはずなのにドレスの薄い生地越しに温もりを感じて、普段の和装なら露出していない肘を素肌に触れられて、その手のひらの熱さを感じてしまう。
ドクンっていう内臓の音が男の人によって鳴らされてしまうなんて不意打ちにもほどがあるし、相手が近藤さんっていうのが一番許せない。ていうか、着慣れないチャイナドレスがノースリーブだから空調が効いててもちょっと肌寒かったとかそんな理由で、何もこんなふうにこんなに接近してただ驚いただけで、そんなアレとは違うわよねえッ、お妙ッ?! 違う違う絶対、そんなんじゃないってッ! ダメよお妙、落ち着きなさいッ、パニくって顔熱くしてる場合じゃないのよ、人の素肌に断りもなしに触ったゴリラに鉄槌を食らわせてやるのよッ!
右手に力を入れるとまたよろけたと勘違いしたらしい近藤さんに抱き寄せられてしまった。手の力が抜けて目の前の男物の着物に軽く触れるだけになってしまう。
よろけたところを助けてもらっただけなのに、男の人に抱き寄せられてるって認識しちゃってるってこと? 女ってこうも脱力しちゃうの?
「あの……大丈夫ですか?」
え? どういうこと?
「足、くじいちゃったりしました?」
顔を見ないようにしていたのに、つい見上げてしまって視線が合う。
だから、ドクンっていうのはただの勘違いよッ、お妙ッ!
「大丈夫ですか? 怪我してないですか?」
この違和感は何? まるで私のことなんて知らないみたいな他人行儀。まさかそんなことってないわよね……?
心配そうに私の足元へと視線を落とす。ちょっと待って、左の足は大胆にスリット入っちゃってるチャイナドレスんだから見ちゃダメっ!
恥ずかしさで目をぎゅっとつむって近藤さんの着物に触れている両手に力が入ってしまう。
「あ、やっぱ怪我しちゃいました? 痛みますか?」
足元から顔に視線が戻る気配がするけど近藤さんの顔が見れない。
「すみません。自分のようなむさ苦しい男とぶつかったばかりに。なんとお詫びを申し上げればいいか……。病院、行きます? この時間帯だと救急かな。……えっと、お妙……さん……と言いましたっけ?」
と、左肘を包んでいた大きな右手が離される。
あなたが好きなはずの私と認識しない近藤さんのまともな対応に寂しさを覚える。
「……はい」
「歩けますか? 支えが必要なら肩貸すんで。それか、おんぶしましょうか?」
背中にあった大きな手まで離れそうになり、なぜか引き止めたくなって近藤さんの左肩へ頭をもたれさせた。
「怪我はしてません……」
近藤さんの温もりにもっと顔をうずめたくなったけれど、自分からこんなことして自分でもよくわからなくて、でも着慣れないノースリーブのせいで体温調節ができないから、男の人の体温を心地よく感じているだけなんだからって心の中のもうひとりの自分が言い訳をしている。
「酔い、回っちゃいました?」
声をかけられ、首だけで頷く。
本当に私のことを忘れたの? それとも私のことを忘れたふりをしている? 確かに銀さんが記憶喪失になったのを追いかけるように近藤さんも記憶喪失になっちゃったけど、それって一過性のものじゃないの? 銀さんはもうとっくに記憶を回復させてるのに近藤さんはまだ回復していない? その割にはちゃんと仕事をしていたし、テレビ中継ではガキがひとり取り残されてるって、神楽ちゃんのことを心配していたわよね?
見極めようとして左肩から頭を離して近藤さんの顔を見上げる。男らしい眉の下、三白眼の小さな黒目をじっと見つめていると何故か顔が近づいていた。唇の先同士が触れそうになるまで三センチ。我に返ったらしい近藤さんは私の両腕に軽く触れて私を遠ざけた。
「すみません、俺のほうが酔ってるな。初対面の女性にこんなこといきなりしようとしてすみません」
と、目を閉じて頭を下げる。
初対面という言葉が癇に障る。信じられない。初対面の女性に会ったその日にプロポーズするくらい変な男なのに、振られてもストーキングするような陰湿な男なのに、初対面の女性でも接近するようなことがあれば手を出そうとするその手癖の悪さと早さ。しかも、つい数分前なんて別の女の子口説いてたくせに。なんて不届きな男なの。
そもそもなんで私のことを本当に忘れてるっぽいのよ。初対面でプロポーズするくらいに私のこと小一時間程度で好きになったくせに。
怒りが抑えられず、頭を下げたままの近藤さんの左頬を右の手のひらででビンタしてやった。それでも気がおさまらない。
かわいそうで陰湿な男の次は大人の恋を演出する男ってどういうことよ。ドキドキなんてしてないわよ。チャラチャラした男の人なんて、月9じゃあるまいし。ドキドキなんてするわけないんだから。もう、なんなのよ、ゴリラのくせにムカつく。
***
それから数週間、近藤さんはお店に顔を見せなかったし家のほうにも姿を現さなかった。私が街で買い物をしているときも近藤さんらしき人影はなかった。
店のバックヤードに掲示の従業員別売上表をぼうっと眺めていると店長に声をかけられた。
「今月は売上あんまりだね。お妙ちゃん発案のチャイナ娘月間で他の子はそこそこ上々だけれども。アレか、上得意の真選組局長さんが最近お妙ちゃんを指名しないからか。どうしたの、喧嘩でもした?」
「いいえ、そんなんじゃありませんよ、店長。あの方、もともと女の子を食っちゃ捨て食っちゃ捨てするタイプのゴリラだったってことですよ」
「え、もしや枕……」
「なんでゴリラ相手に枕営業なんかするんですか。事実無根ですよ。仮にも警察の方なんですからそんな馬鹿げたことはされませんよ。言葉のアヤです。ただ軟派な方だったってだけです」
そうよ、今どき珍しい硬派なお侍さんが存在するんだわって関心したのも束の間、その正体は女に振られ三昧で自信なくした男版かまってちゃんで、つまり惚れやすい男性ってこと。その上、無自覚で生まれ持った男の魅力を女にちらつかせているタチの悪い男。生娘の私の手に負えるわけないじゃない。万が一、そんな人を捕まえてしまったら、他の女へ目が向かないようにいつでも気を張っていなきゃならないもの。
ボーイに指名が入ったと言われて席へ向かう。
見たことがある短髪黒髪の後ろ姿を確認して背を向ける。席に向かったはずなのに自然と回れ右をしたまま立ち止まっているとボーイに声をかけられて我に返った。
席に着くなりフルーツの盛り合わせを注文入れてくれたから必ず席に着きなよと促される。私はフルーツと一緒にバックヤードの重箱を持ってくるよう頼んで改めて回れ右をした。
この間のキス未遂事件の謝罪のためのフルーツ盛り合わせってことかしら。
「いらっしゃいませ、近藤さん」
「ああ、どうも。先日は大変失礼しました。この通りです」
と、袴をはいた両膝に両手をついて頭を下げる。
本当、今どき珍しいほど義理堅い人。その実体は軟派な男なのに。
「早々にフルーツのオーダー、ありがとうございます」
「いやいや、お詫びが遅くなってすみません。地方へ出張に行っていたんです」
地方出張? 何そのいやらしい響き。こんな惚れやすくて慰めてほしい男なんて現地妻がいるはずだわ、なんていやらしい。
「あら、そうなんですか。お仕事お疲れさまです。大丈夫でした? 私ったらびっくりしちゃって思いっきり頬ひっぱたいちゃって」
「ああ、それはもう。殴られて当然のことですし。どうか気にし……」
「現地のほうで、大丈夫でした? 跡が残って痴話喧嘩しないですみました?」
「え……、ちょっと待って。俺なんか全然モテないし、そんな女性いないですよ。出張っていっても隊士募集に行くんで女性のいるようなところには滞在してないし」
「そうかしら?」
「あ、やっぱ怒ってます? ホント俺なんかケツ毛ボーボーだし、この店の子にも振られまくるわ、女にモテるわけ……ん?」
「そんなことないですよ。男らしくて素敵じゃありませんか」
近藤さんが最後まで言う前に返答する。
「じゃ、じゃあ、聞くけどさァ、もしお妙さんの彼氏がさァ、ケツが毛だるまだったらどーすよ?」
自分で言ったことのある言葉に近藤さんは首を傾げ続ける。思い出したのかしら。それともまだ完全には思い出していない?
そこへフルーツの盛り合わせと重箱がテーブルに運ばれてきた。
「水割り、作っちゃっていいですか?」
「あ、はい。お願いします。お妙さんも飲んでください」
「ありがとうございます」
ボーイは下がり、二杯の水割りを作る音だけが席に響く。
「で、あの……もし彼氏のケツが毛だるまだったらどうします?」
「私がどう答えるか、しってるんじゃないですか?」
「はい……」
と、テーブルの一点を見つめたまま固まっている。いろいろ思い出したのか徐々に顔が赤くなってそれは耳まで広がった。
「本当に、なんとお詫びを……」
「もう、いいじゃありませんか。済んだことですし」
と、水割りを近藤さんへ差し出す。もし本当に近藤さんが私のことを忘れたままだったらと持ってきていた自家製卵焼きの入った重箱の蓋もあけて差し出した。
「あ……」
「まだ私のことだけ忘れたままだったらと思って用意していたんです」
「……どうしてですか……」
ぼそりと呟かれ聞き返す。
「何がですか?」
「お妙さんにとっては俺が忘れたままのほうがよかったんじゃないですか?」
「まァ、そんなこと仰るんですか。それじゃ私が困るんです」
「え?」
「だって、またこうして近藤さんと飲みたいと思っていたから。せっかくなんで近藤さん、卵焼きどうぞ」
と、箸置きに箸を添えた。
「あ、近藤さ~ん! 今日はお妙指名なんだ~! 次の時は私を指名してね♡」
席の移動をしていた同僚が手を振りながら声をかけ、近藤さんはまた今度と返事をする。
何ソレ。次も、また今度も、ゴリラが指名するのは私なんだけど。箸でつまんだ自家製卵焼きを食べさせてあげようとした気もどこかへ吹き飛び、素手で掴んだ卵焼きをゴリラの口に放り込んだ。
「お妙さッ、んぐッ!!」
やっぱりムカつく。ゴリラのくせにあちこちの女にいい顔なんかして。なんて手癖の悪い野良ゴリラだこと。矯正でもさせたほうがいいのかしら。
ヤケ酒とムカムカ
Text by mimiko.
2019/11/25