恋人といる時の雪って特別な気分に浸れて僕は好きですな十四郎さんで武州土ミツです。

雪って特別な気分

 今日は朝から雪が降っていた。にもかかわらず若先生は出稽古に行ってしまった。季節外れの雪だ、それほど積もるわけでもないだろうと。雪にはしゃいだ年下の先輩も若先生にくっついて行ってしまった。
 残された十四郎は、しんとした道場から外を眺めた。
 勲も総悟も喜んで庭を駆けて行ったのだから自分はこたつで丸くなりたいものだなと、溜息をつく。
 裾を帯に挟み上げ、両膝を床に突く。脇に置いていた桶で雑巾を絞る。雑巾がけのためにと足さばきを考えて着物の裾を短く調節したが今すぐ直したい。床から伝ってくる冷えた空気と冷水で手指が冷え、身震いする。
「寒ッ」
 こんな冷え込む日に何故ひとりきりで掃除をしなければならないのだと不満を募らせながら絞った雑巾を広げると出入り口のほうで物音がした。見ると髪を結わえた娘が外からこちらを窺っていた。総悟の姉だ。
「うっす。……先輩なら出稽古について行きました」
と、雑巾を床へ置き、両手を添えて腰を上げた。雑巾を床端へと勢いよく滑らせる。床板の目に合わせて雑巾の位置をずらして構えたが留まった。ミツバの足袋に覆われた足はとたとたと可愛らしい音を鳴らし、雑巾用の桶前で止まったのだ。
「道場の掃除なら俺がするんで……」
 言ったものの予備の雑巾はミツバの細い手に絞られてしまった。
「先輩のお姉さんにそんなことさせられません。掃除なら俺がするんでお姉さんは手を出さないでください」
 再度言ったがミツバは自分とは反対側になる壁際に行き、雑巾を床へ置くとたすき掛けをする。
「ふたりでしたほうが早く終わりますよ。今日はミカンを持ってきたんです。早く終わらせてこたつでミカン、一緒に食べましょう、ね?」
 柔らかく微笑まれ、そんなことをしようものなら帰宅した総悟に諫められるだろうが、そんなことなどどうでもよくなる。こたつで一緒にミカンか、いいな。
「じゃあ勝負ですよ、十四郎さん」
 唐突に勝負を吹っかけられ、瞬きする。
「往復した回数でミカンの取り分が決まりますからね」
と、出し抜けに雑巾がけを始めた。ミツバの後を追うように十四郎も雑巾がけを再開する。が、途中で待ったをかけられた。
「雑巾、絞らなくちゃ」
 ミツバに促されて桶の元へ戻り、順番に雑巾を絞る。雑巾がけを済ませた位置まで戻ってくると勝負が再開し、しかしまた待ったがかかる。これでは同じ往復回数にしかならない。勝負は引き分けだ。最後の往復ののち、桶の元に戻る。十四郎はミツバに手を差し出した。雑巾を受け取るためだ。が、ミツバは笑顔で十四郎の持つ雑巾を掴む。
「いや、いい。俺が片づける。アンタは早く手ェ洗ってこたつ入れ」
「でも、十四郎さんも手、冷たいじゃないですか。いつも道場を綺麗にしてくださってるんだから、みんながいない今日くらいは手を抜いていいんですよ」
「そんなわけにはいかない。変な気回さなくていい。俺は居候なんだから」
「でも……」
 見かけによらず強情な女だ。そして見かけ通り無防備だ。みんながいないとふたりきりであることを言っておきながら男の手に触れてくるなんて。
 こちらが掴む雑巾をなんとか奪おうと、あの指この指と広げようとするミツバの右手と左手に握ったままだった雑巾ごとを掴んで捕らえてやった。
 驚き慌て、男には敵わないのだと心を改めろ。雑巾泥棒を働こうとする娘を見下ろすと視線が合った。特別慌てるわけでもなく娘の口端が穏やかに上がる。大きな瞳に間抜け面した自分が映っていた。
「きゃとか言えよ」
 逆に女には敵わないと心を改める。十四郎は視線を落とし、掴んでいた手の力を緩めた。が、掴み直す。小さな手はかなり冷たい。
「言ったほうがよかったですか? これでも驚いてるし、ドキドキもしてますよ」
 計算か、天然か、最早わからない。互いが持っていた雑巾二枚を桶の中に落とし、ミツバの両手を握った。微かに残っている自分の手の平の熱を少しでも分けてやりたかった。
「だからいいって言ったのに」
と、背を屈め、ミツバの両手に吐いた息をかける。
「あ、あったかい……」
 もう一度、はあっと息をかける。固まっていた指が微かに動く。
「ありがとう、十四郎さん。もう、離して……」
 もっと指を温めてくれと言ってくるかと思ったのに逆だった。
「まだ冷たいだろう」
と、息をかける。
「そう……なんですけど……。雑巾触ってたから……におうでしょう……?」
「……気にすんな……」
 確かに臭うかと問われれば使用済み雑巾の臭いはする。しかし、指先まで冷えた状態のまま冷水で清めれば更に手指は冷えるだろう。雪の降るほどの外気の中、柔い女の手肌が痛めつけられるのは可哀相だ。
 ふとミツバを見上げるともじもじと恥ずかしそうに逃げたそうにしていた。十四郎は心内で笑って訂正する。いや、可哀相ではなく可愛い。羞恥心に身を捩る女は魅力的だ。ちょっかいを出したくなって息を吹きかける代わりに舌を出した。冷たい指先を舌で撫でる。
「ひゃんっ!」
 驚いた声がまた可愛らしい。
「ち、ちょっと十四郎さんっ、何するのっ?! 汚いからそんなことするのやめてっ!」
 この手が汚いわけがあるか。細く白いこの手はとても美しい。雑巾のような男に触られようが決して汚れはしない。だからこそ汚したいと思うのかもしれない。
 掴まれた手を振りほどけないと諦めたミツバは目を瞑って肩を震わせていた。苛めすぎただろうか。しかし、この綺麗なものにもっと近づきたい。
 十四郎は背を戻してミツバの顔に自分の顔を寄せた。間近で見ても固く目を閉じたままだ。
「いいか?」
 確認の声に瞼が上がる。
「え……?」
「雑巾フレーバー、味わってみるか?」
雪って特別な気分
Text by mimiko.
2016/12/03

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