2015年WJ12号第五百二十九訓前提。「嘘も方便」の続き。
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目は心の鏡

 後から追いついてきた新八に神楽は振り返った。
「どうせ殴るなら姐御じゃなくてゴリラを殴るべきだったネ」
「それじゃダメだよ」
 怪訝な顔をする神楽に笑って答える。
「近藤さんは自分の命と引き換えに仲間を護ろうとした人だから、自分が傷つくことなんて屁とも思わないよ」
 言われて神楽はなるほどと頷く。
「だから、真選組局長を叩くなら真選組を叩き落さなきゃ。しぶとい真選組を叩き落すなんて、まあ不可能だろうけどさ」
 神楽は更に頷いた。
「僕は、ただのゴリラを殴りたかったからね。ただのゴリラとして一番大事に想ってる姉上を殴らないとあの人を殴ったことにはならない」
 くすりと笑った新八の横顔はどこか大人びていた。神楽は二つ年上の同僚を生意気な奴だと肩眉を上げた。神楽の隣でどうでもよさそうに話を聞いていた銀時は、耳掃除をしていた小指を耳から抜きさった。小指に付着していた耳垢を吹き飛ばして新八に訊ねる。
「で、おまえ、帰るとこあんの?アイツらが向き合わない限りおまえも向き合わないんだろ?」
 指摘され、新八の歩みが止まる。
「まァあれか、アイツら早々にいちゃいちゃしまくんじゃねーの?おめでとう、新八。赤飯ごちになりまーす」
「なりまーす」
 銀時の口調に合わせて神楽は空腹のお腹をさすった。
「なっ、そ、そんなの僕は絶対認めませんよ!まだ嫁入りしてませんから!断固、許しませんからねッ!」
「そんなのわたしと銀ちゃんに言ってもしかたないアル」
「そーそー、本人に言ってこいよ。しっかし、弟に焚きつけられたんじゃあ、お妙もいよいよご開帳だなァ」
 新八はいやらしい笑みを浮かべる銀時の左頬に拳を向けた。
「歯ァくいしばれゴリラァァ!これが怒れる義弟の拳だァァァ!」
 これから事実になろうがならまいが、考えたくなかったことを自分に突きつけた銀時が悪いのだ。新八は、近藤より頭の位置が少し低い銀時の頬を殴り抜いた。
「ぐぉはァァァッ!」
 男になろうとしている少年の拳に頭を揺さ振られる。少しからかってみただけなのに、何故、自分がこんな損な役割を引き受けなくてはならないのか。
「いってェなッ新八ッ何すんだ!俺、銀さんんん!ゴリラ、あっちィィィ!!」
***
―アンタらいい加減にしろよッ!この期に及んであーだこーだ言い訳ぶっこいてんじゃねーぞッ!僕が邪魔なら邪魔だって最初っから正々堂々と除け者にしろよッ!毎回毎回ゴリラとメスゴリラがいちゃこいてんの見せられるメスゴリラの弟の気持ち考えたことあんのかコノヤローッ!―
―……僕は認めない。アンタらがそうやって意地になってなんでもない振りしてるのなんか認めない。いい加減、向き合ってください。じゃなきゃ、僕もアンタらに向き合いません―
 新八に置いて行かれた妙は佇んでいた。打たれた頬の痛みは引いてゆくが、弟が残した言葉は時間が経てば経つほど心に重くのしかかる。一体どうすればいいというのだろう。こちらを想ってのこととはいえ、あちらを想ってのこととはいえ、忘れてくれと言ったのは近藤であり、最初から何もなかったと言ったのは自分である。恋焦がれる気持ちを封印はしたが、発した言葉に偽りはない。心から思ったことである。それなのに、今さら何を話せというのだ。わからない。そして、後ろへ振り返るのが怖い。いや、そこに近藤はもういないかもしれない。大切な仲間の元へ帰ったかもしれない。命を懸けるほど大切なのだ。自分のことなど本当はどうでもいいはずだ。近藤のことを考えれば考えるほど胸が締めつけられた。唇に立てる歯に力を込める度、瞳が熱くなり、絞るように眉が寄る。きっと酷い顔をしている。わかっているのに表情は戻せず、熱い涙がこぼれた。流れ出した涙は止まらない。苦しくなって唇を開く。取り込んだ息さえもすぐに吐き出したくなる。気持ちが悪い。悪循環のはじまりだ。弱い心が声を上げている。助けてほしい。妙は弱い心に蓋をするように目を瞑った。しかし、それは鼓動を打つ心臓をも掴む。苦しさに負けて泣き崩れてしまおうと屈めた体が何かに支えられた。人の腕だ。驚いて目を開くと、男の喉仏が見えた。浅黒い肌に太い首。顎には髭がたくわえられている。近藤だ。
「なっ、いや、離してくださいっ!」
 離れようと暴れる妙に構わず、近藤は妙の背中に手を回した。優しく撫でて優しく叩く。まるで泣きわめく我が子にしてやるようなそれだ。
 近藤は自分より大切な仲間の元に帰らなかった。今は自分を選んだのだ。妙の頬に再び熱い涙が流れた。胸も熱くなり、喜びの涙がとめどなくあふれる。
「嫌な人……」
 泣きじゃくる合間に静かに罵られ、近藤は返事する。
「はい」
「酷い人……」
「はい」
 妙は今まで思っていたことを呟くように言い始めた。
「ムサ苦しい人……」
「はい」
「芋くさい人……」
「はい」
「変態な人……」
「はい」
「馬鹿な人……」
「はい」
「悪い人……」
「はい」
「優しい人……」
 不意に褒められ、返事が遅れた。
「……はい」
「ゴリラ……」
「はい……」
 何を浴びせられようが受け止めると決めていた近藤の心が揺らぐ。
「って、人じゃねーし、ただのゴリラだし!」
 思わず突っ込んでしまい、我に返って妙の顔を見た。笑顔だった。目尻には引いた涙が残っていたが、仲間たちといる時、楽しげに笑っていた妙がいた。もう二度とこの目にすることのないと思っていた笑顔だ。近藤は目頭を熱くし、心の奥底の思うままに妙を抱き締めた。
「よかった……」
と、強く抱き締める。妙を感じようと更に力を込めようとしたが、言われてしまう。
「あの、苦しいです……」
「あっ、すみません……。あなたが無事でいてくれて嬉しくて、つい……」
 近藤はうずめていた妙の髪に唇を寄せ、顔を離す。妙の髪を指にかけ、間近で首の傷を確認した。
「いや、無事ではありませんでしたね。俺なんぞのためにこんな傷なんかつけられちまって……。すみません、俺が不甲斐ないばっかりに、こんな……」
 悔やむ近藤に妙は言う。
「あなたのため?おかしなことを言いますね」
 聞いた言葉に近藤の視線が妙の顔に戻る。
「私のためですよ。私は、自分が信じているものを否定されて腹が立っただけです。あなたのためではありません」
 にこりと微笑まれ、近藤はぎこちなくにやりと笑った。顔の筋肉が引き攣っている。うまく笑えない。
「あの、怒ってます?」
「何をですか?」
 妙は笑顔を崩さずに返す。
「いや、だから、俺が言ったこととか……」
と、近藤は妙の髪をかけていた指を下ろす。
「ああ、一般市民である自覚を持てだの、赤の他人からの心配は無用だの、今さらゴリラが惜しくなったわけじゃねーだろーな、好いた惚れたをほじくりかえすわけじゃねーだろーなだの、こちらがその気でもゴリラにその気はないから忘れてくれだののことですか?そんなのゴリラの戯言でしょう?全然、怒ってませんけど?」
 やはり笑顔を崩さない。貼りついている笑顔がかえって心底、憤慨しているように思える。近藤は妙を抱き締めていたままであったことに気づき、さっと両手を離した。
「あっ……」
 予想外の残念そうな声に近藤は妙の顔をまじまじと見る。
「その……傷跡を舐めたりしてくれないんですか?」
「え。」
 これまた予想外の申し出に近藤の顔が強張る。
「だって、こんなの舐めとけばすぐに治るだろ……とか、よくあるじゃないですか」
と、恥ずかしそうに頬を赤く染める妙に近藤は我が目と我が耳を疑った。
「あはははは……、また今度にしましょう。こんな往来じゃあ誰に見られるか知れたもんじゃありませんから」
「そんなのダメです!そう言って逃げるのはなしですよ!あなたのお妙さんがこう言ってるんだからいいじゃないですか!それに、女に恥をかかせるものじゃありません!さあどうぞ!」
と、妙は髪を除けて首を差し出した。今すぐその細く白い首に吸いつけというのか。しかもこんなところで。確かにとても美味そうではあるが、まだ口づけもしていないのにいきなり首に吸いつけとは、これ如何に。近藤は突然降って湧いてきた話に理解が追いつかず、目を回した。
「さあどうぞっていやいやいやこっちのほうこそ、そんなのダメですってば!」
目は心の鏡
Text by mimiko.
2015/02/24

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