「権威のある方がそんなことをすべきでありません。評価は厳正に行われてこそのものです。それに、まだ初日。どこの町だって、きっとこれからどんどん美味しくなりますよ」
 微笑むオタエにカボチャ男は、ただ頷いた。が、オタエは我に返る。
「生意気な口をきいてしまって申し訳ありません!」
「いや、あなたの言うとおりです」
 オタエは冷や汗を掻いたが、男の声は朗らかだった。怒っていないらしい。オタエは顔を上げて男が言うのを待つ。
「評価は公平であるべきだ」
 胸の前で両腕を組んでカボチャ男はひとり頷き、提案した。
「お嬢さん、俺と一緒に他の町へ行きませんか。豊穣の鍋を食べ比べしましょう」
と、オタエに右手を差し伸べ、お辞儀する。まるで幼い頃に母から聞かされたおとぎ話のようだ。カボチャ魔法使いの紳士的な誘いは、冒険が始まることを告げている。
 オタエの心は揺れる。幼い弟を護ろうと冒険することをやめた。湧き出す好奇心を抑えつけ、早く大人になろうとした。その弟も、もう青年になろうとしている。
 オタエは差し出されている手を見つめた。繊細な魔法を使うことを想像もできない武骨な手だ。急かさず、答えるのをじっと待っていてくれる。何もかも包み込んでくれるような大きな手――。迷っていたオタエは、軽く握った右手を胸元に当てた。
「おつき合いしたいんですけど……炊き出し当番の日があるんです。だから、食べ比べるにもそれほど多くの町へは……」
 男は、残念そうに視線を落とすオタエの左手を取った。
「心配いりません。俺にはオオカミの脚がある。町を渡りまわることもできる。もちろん、ちゃんと家まで送り届けますから安心してください」
 手を握られてオタエの鼓動は跳ねた。厚みのある大きな手だった。
「あなたの脚は速くても、私の脚は凡人並みです」
「心配いりません。俺にはゴリラの握力がある。決して振り落としたりしない。ずっと君を離さないでいる。だから、安心してください」
 オタエは絶句した。カボチャ男本人にその気はないのだろうが、まるで口説き文句だ。男の指が優しくオタエの手を握り直すと同時に心臓を掴まれたような錯覚に陥る。胸が苦しくなり、それを少しでも軽減するようにと息をついた。
「家はどこですか。試しにオタエさんの家までひとっ走りしてみせますよ」
と、握ったオタエの手を引き寄せる。驚いたオタエはカボチャ男を見上げようとしたが、耳元にカボチャが近づいて体を固くする。
「失礼。匂いを覚えさせてください」
 低い声だった。それまでカボチャ越しであったために籠っていたが、初めてはっきりとした声を聞いた。首元に男の気配を感じる。恋人同士ならば、自然と抱き締め合うほどの距離だ。なのに、触れない。触れないのに、体の匂いを嗅がれている。オタエの意識は左の首元に集中した。緊張し、口内が渇きはじめる頃、カボチャ男が離れた。オタエが安堵の溜息をついていると、体がふわりと浮いた。カボチャ男はオタエを負ぶさる。
「あの、ちょっと」
「俺はオタエさんを離しません。オタエさんも俺を離さないでください」
 またその気なく口説いている。が、そんなことを気にしている場合ではない。
「そうじゃなくて」
「舌噛んじゃうんでしゃべんないほうがいいですよ」
と、カボチャ男はオタエが止めるのを聞かずに負ぶったまま駆け出した。自慢の脚は速かった。あっという間に自宅へ到着してしまったのだ。
「家、ここであってますか」
 オタエが普通に歩くより三倍以上、速かった。風の中を走って上がっていた前髪が下り、オタエは男の背中から下り立つ。
「ええ、あってるんですけど……。私、広場へ戻らないと。炊き出し当番の休憩中だったんです」
「それはいけねえ。すみません。急いで戻りましょう」
と、カボチャ男はオタエに背を向けて屈んだ。背に寄りかかると、男はオタエを負って立ち上がる。
 ふとオタエは思い出した。男性に背負われ、自宅へと連れ帰ってもらった日のことを。自分より六歳年上の幼馴染だ。両親が健在の頃、弟と一緒によく遊んでもらった。今考えれば初恋だったのだろうと思う。近所の年の近い男の子とは違ったのだ。八歳の女の子にとって十四歳のお兄さんは随分と大人だ。オタエが十歳になった頃に引っ越してしまったが、元気に過ごしているだろうか。
 オタエが束の間、幼馴染のことを思い返していると、すでに元の路地裏に到着していた。カボチャ男のオオカミの脚は、やはり速かった。男の背から下りたオタエは空の器を回収するが、男にさっと盗られてしまった。ゴリラの手も素早い。
「あなたの分まで俺が食べてしまってすみません」
 申し訳なさそうにカボチャの頭を掻く。オタエは首を横へ振り、微笑んだ。
「いいえ。……じゃあ、もう戻ります」
 オタエは男に背を向け、広場へ行く。
「待ってください」
と、カボチャ男は先回りする。広場に差しかかったオタエの足が止まった。
「豊穣の鍋食べ歩き、ホントに行きましょうね。明日、オタエさんの家まで迎えに行きますから」
 オタエは困ったように笑った。
「ジャックさんは、ジャックさんのままなんですか」
 いまいちカボチャ男のことが信用できなかった。バランスよく優れた魔族として知られているオオカミ血族と、体力に優れているゴリラ血族の混血で魔族王家の親衛隊兵士である男が、小さな町の娘を相手にすることなどありはしない。相手にしたところでただの遊びだろう。
「……ジャックでなければ信じてくれますか……」
 答えはいいえだ。素顔を見たところでやはり答えはいいえになる。オタエがあぐねていると男はオタエに空の器を持たせた。軽々とオタエを横抱きにして路地裏深くへと跳ぶ。駆けていた脚を止め、静かにオタエを下ろした。オタエの正面に立つとカボチャの頬を両手で支え、それを頭上へやって脇に抱えた。雲の隙間から月の光が所どころ差してはいるが、辺りが暗くて男の顔は見えない。
「……がっかりしたでしょう……自信がないってのもジャックを被ってる理由のひとつだったんですけど……」
 カボチャを脱いだ男は落としていた視線をオタエの目にやった。闇にオオカミの目が鈍く光る。雲が流れて路地裏に月光が差し込む度、その目が共鳴するかのように鋭く光る。
「がっかりって……?」
 男は、黒い短髪で顎には髭を蓄え、太い眉と切れ長の目を持つ精悍な顔立ちをしていた。が、オタエは男の顔立ちを気にするよりも怪しく紅く光る瞳に釘付けになる。
「俺の顔ってムサ苦しいし……」
と、被っていたカボチャランタンを浮かせて地面へ置いた。広場寄りにあった木箱を魔力によって引き寄せ、オタエの腰をそっと抱いて木箱に浅く腰掛ける。
「男らしくて素敵です……」
 優しい声と自然な男の手つきにオタエは警戒することをすっかり忘れていた。男の首に手を回し、こちらを見上げる紅く美しい瞳に吸い寄せられるように顔を近づける。
「でも、人の姿の時だってケツが毛だるまだし……。そんな男、いやでしょう……」
「そんなこと関係ありません。どんな人であってもいい。あなたのすべてを、ケツ毛ごと愛せばいいだけじゃないですか」
 魔法でも解けたようにオタエは我に返った。男の首へ両腕を回し、男には腰に両手を回されている。男の紅い瞳に魅入ってしまっていた。そのまま口づけでもしてしまいそうな気分だったことを思い出し、顔を熱くする。
「すみません。先に言っておけばよかったですね」
 笑みをこぼしながらオタエの横髪を指で梳く。
「ゴリラは一年中だが、オオカミは冬に発情する。常日頃のことなら心がけることでどうにかできるんですが、限定的な冬が近づくと突発にそれが出てしまう。月の光を浴びた時には特にオオカミの血が騒いじまって……女性をその気にさせてしまうんです。俺の辛抱が足らなくてすみません……」
 男は謝りながらもオタエの顎先に指を添えた。かわいらしい唇に親指で触れ、自分の唇を薄く開いた。目を伏せて顔を傾ける。自然と寄る男の顔をオタエは眺めるだけだった。このままでは唇を奪われてしまうとわかっているのに動けない。唇が触れそうになって男は再び謝った。
「……すみません……」
 顔を離してオタエを見つめた。その紅い目は鈍く光っている。
「やっぱりジャックでもいいですか。月の光を浴びると我慢ができなくなってしまう」
 木箱の横にあったカボチャランタンを宙に浮かせ、男は再びカボチャを被った。
「誤解しないでください。誰にでもこうなわけじゃない」
と、オタエに回したままの手で腰を撫でた。先ほどよりも抱き寄せられ、オタエは距離を取ろうと男の両肩を押す。
「ケツ毛ごと男を愛せるようなあなたを好きになりました」
 突然の告白にオタエは目を見開いた。
「だが、冬間近の俺は女が欲しくなってるオオカミです。目が紅い時は俺に近寄らないでください。あなたの心を置き去りにしたくない……」
 乞われてオタエは耳を熱くした。思いやる心が、その低く切ない声に込められている。
「はい……」
と、返事し、ふと思う。こちらの心を置き去りにしたまま自分のものにできる自信があるということだろうか。自意識過剰だ。雰囲気にのまれてしまっていたが、とんだ自惚れである。そして一方的に負かされたようで悔しすぎる。オタエは深呼吸をしてから口を開いた。
「私のことを思ってくださるのは嬉しいんですけど……。食べ歩きに誘ったり、男性として誘ったり、好きだと告白したり……出会ったばかりの私を一体どうなさるおつもりですか」
「どうもこうもしませんよ。ただ、あなたと一緒にいろんな豊穣の鍋を食べに行きたいから誘った。男としても誘いたいけど、気持ちないと絶対後悔するし、ちゃんと告白しとかないとって」
 焦って早口になる男にオタエは吹き出してしまった。素顔を隠しているのに、心が丸裸だ。大人の駆け引きでなく、心から思ったことを伝えてくれている。素直に嬉しかった。そして、大人の男性なのにかわいらしいとも思う。
「笑ってしまってすみません。ふふ、ジャックさんってバカなんですね」
 オタエの弾んだ声に男はカボチャの下で微笑んだ。
「はははっ、よく言われます」
と、返され、オタエは口元を覆った。
「すみません、私ったらまた」
「いやいや、構いません。あなたが楽しそうだと俺も楽しいですから」
と、男は重ねた空の器を手に広場へ向かい、オタエも後に続いた。
 広場は相変わらず賑わっている。が、見かけたことのあるヒョウ血族の若いカップルが鍋のそばで不穏な動きをしていた。ヒョウ血族の娘は手に何かを持っている。ゴリラ血族が調理した鍋に工作するつもりなのだろうか。炊き出し行列にいたはずの娘が調理場に潜り込んだ。ヒョウ血族の男は素知らぬ顔をしている。娘が鍋に何かを投入しようとするのを止めようと駆けていたオタエだったが、それより前にカボチャ男が出た。
 ヒョウ血族の娘が握っているものごと右手で掴み、ヒョウ血族の男の手を左手で掴む。
「お嬢さん、ハロウィンは豊穣の祭だ」
と、娘の耳元で続ける。
「でもアッチの豊穣じゃない。乱交したいなら彼氏のお友達を呼びなさい、ね?」
 カボチャ男の声に艶がかかり、目が紅く光った。娘が握っていたものを男の服のポケットに乱暴に押し込む。その中身が付着していた指をヒョウ血族の男の口の中に捻じ込んだ。驚きと恐怖に唸っていた男の目の色が変わり、娘は青ざめる。
「そんなに怖がらなくてもいいだろう。微量ならちょっとした精力剤程度だ。ところで、こんな高価な物をどこで手に入れたのかオジサンに聞かせてくれるかな?」
 ヒョウ血族の男の唾液に濡れた指を引き抜き、娘の口元へ近づけた。びくりとした娘だったが、目の前でちらつかされる指に注意をひきつけられる。カボチャ男は惑わせた娘の唇に指を軽く触れさせた。娘の目がとろりと潤む。娘はヒョウ血族旧家のとある一家の者に唆されたことをあっさりと白状した。ゴリラ血族の豊穣の鍋に工作利用しようとした催淫効果のある香辛料を舐めたからだ。ヒョウ血族の男は目をぎらつかせている。周囲がざわつき始めるとゴリラ血族の旧家の者たちがやってきた。カボチャ男は経緯を話し、ヒョウ血族の若いカップルを警備隊へ引き渡すと笑った。カボチャを被ったまま。
 周囲の人々は、正義感あふれる強靭なジャックがやってきたと冷やかしたり、若いカップルの悪戯を非難したりとさまざまだったが、カボチャ男は笑顔を崩すことはなかった。旧家の者たちは深々と頭を下げてカボチャ男を見送った。
 食事を奪ってしまった分の鍋の用意をオタエにと、カボチャ男に依頼された調理担当の旧家の女性は言う。
「あなた、とても高貴な方とお知り合いなのね」
「あの方をご存じなんですか」
「いいえ。上流階級でもそれほど知られていないような高級香辛料をその香りだけでわかるなんて、流石だと思って。私は料理人の端くれだから名を聞いたことはあるけれど現物を見たことなんてなかったのよ。別名は夜の香辛料というくらいなのにあっさりとした香りだったわね」
 炊き出されている鍋の香りが漂っていようが、あっさりとした香りを嗅ぎ分けられたのは彼のオオカミの血のせいだ。オタエは一度開いた口を閉じた。
 魔族は容易に血種を明かさない。明かせばその弱点を攻撃される。オタエは、はっとした。カボチャ男は始めから明かしていた。弱点を知られて攻撃されようが、逆に負かすことができるということか。自意識過剰だ。とんだ自惚れだ。いや、わかっている。こちらの信頼を取りつけたいために最大の秘密を打ち明けていたのだ。勝てる気がしない。
 食べそびれていた豊穣の鍋を食べ終えるとオタエはカボチャ男のいろんな顔を思い返す。ほぼカボチャ越しではあったが一緒にいると飽きない男なのだと思った。
カボチャの魔法使い1
Text by mimiko.
2015/10/25

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